はなくらべ-2

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『名家の娘足るもの、強く気高く美しくありなさい。』
小さな頃から、いやという程に聞かされてきた言葉は、今となれば私の生きる道標になっている。
美しいとは何かと考えれば、それは常に笑顔で悠然とした心を持ち続ける事。怒りや憎しみや嫉妬や欲情に揺れ動かされる事なく、白い薔薇の様に何にも染まらずに優雅に咲き誇る事。
そして何よりも誰かを愛し、愛される事。
それが美しさの定義で、そうある事で純粋な幸せはそこに咲くの。
私には全てが揃っていて、その全てが、私が美しく幸せであると証明する。
それを信じて疑わない私には、気付く筈も無かった…歯車が狂い始め、花弁が落ち色褪せているだなんて――



交流会の二日目の放課後。華道の場に呼ばれた私は、校舎の外にある和室へと赤い絨毯の廊下を歩いていた。
廊下の先では赤紫色のワンピースの女生徒と話をする男子生徒の姿が目についた。仲睦まじげに話す様子に、小さく口の端を上げる。いったい何の交流を深めに来たのかしらと疑問を感じもしたが、私には関係の無い事だと微笑ましく見送った。
そんな男子生徒の制服を見て、彼の事を思い出す。そう言えば今日はまだ一度も顔を見ていない…忙しい私を気遣ってか、会いにも来る事も控えているのだろうから仕方ないのだけど…。それを少し寂しく思った私は、通りがけにある彼の教室を覗き込んだ。もう帰ってしまったかもしれないわね…と、あまり期待は持たずに眺めてみると、中にはまだ数名程の男子生徒がいた。その中に、蓮の姿を発見した。
一人窓際に立つ彼は、外を眺めながら心ここに在らずという風に他の方々の話を聞いている様に見える。もしかして私を探しているのかしら…?その姿が、何とも愛しく思えて顔が綻んだ。
「蓮!」
私がその名を呼ぶと、それに反応してゆっくりこちらへと振り返った彼は、大きく目を見開いて酷く驚いた顔をしていた。
「リ…ン…?」
どこか疑問を含んだ声で呼ばれた様な気がしたけれど、きっと探していた私が此所にいる事に動揺したのだろうと気にも留めず微笑んだ。蓮はどこか戸惑いながら、少しだけ間を置いて私の元へと歩を進めた。
「…今から交流会かい?」
「ええ。お華の先生に呼ばれてしまったのよ。」
その言葉を聞くと何故か訝しげに、彼は目を細める。
「華道…か…。まだ神威様に、習っているんだよね?」
彼の口から神威様の名が出た事に驚いたけれど、私は目を丸くさせる事無くええと返事をして頷いた。
神威家の楽様は良家の跡取りで、お父様が数年前に社交界でお知り合いになり今では私の華道の先生をして下さっている。お父様は蓮ではなく、楽様を婚約者にとのお考えがおありの様だけど、私が了承しなければきっとすぐに諦めるでしょう。だからこれは彼に態々言う様な話では無いと、私は敢えて何も話しはしなかった。
「楽様の生けるお花は本当に素敵なのよ!」
だからいつもと変わらぬ笑みでそう告げれば、蓮はただ一言そうかと呟いて静かに微笑んだ。優しくて誰よりも私を愛する彼らしからぬ物悲しげな笑顔の裏で、何かを考えている様に思えたけれど私にはそれが見えない。
一抹の不安が過ぎったけれど、詮索する事は何だか美しくない様な気がして私は気付かぬふりをした。
――それが大きな間違いだった。



華道の交流会が始まり、花の茎を切る鋏の音だけが部屋の中には響く。そんな静寂を破ったのは、襖の向こうから聞こえたパタパタと慌ただしい足音だった。
「失礼致します!」
襖を開けるなり、既に正座をして頭を下げた女生徒に先生は小さく溜め息を溢す。
「恵さん遅刻だなんて端なくてよ。」
「はい!申し訳ございません!」
滑舌良く反省の意を現す彼女を、先生はそれ以上咎める様子は見せずに肩の力を抜く。
「まあ、いいでしょう。早く凛さんの横にお座りなさい。」
「えっ…あっ、はい。」
それまでずっと歯切れの良い返事を見せていた彼女は、顔を上げるなり何故か私の姿を見て不思議そうに瞬きをした。私が空いている横の席を手で指し示せば、恵さんは促される様にそこへと座る。
「あの、凛さん…?」
座るなり口に手を当てて、小声で私に話し掛ける彼女の方に耳を貸す。
「先程、薔薇の庭園の方にいらっしゃいましたよね?」
真面目な顔付きで問われたが、何の事だか分からぬ私は首を傾げた。
私は蓮に会ったその後すぐに、此所に来たので寄り道はしていないし、今日は庭園に近付いてすらいないのに。
「いえ…?おりませんでしたけど…」
「そう…ですか…」
恵さんはそんな私の返答に、何処か納得いかないのか考え込む様に視線を斜め下へと移す。そんな彼女は先生からひとつ咳払いを受けると、ハッとした様に正面へと体を戻す。誰かと勘違いをしているのだろうかと、私は気にも留めなかった。――そんな風に心穏やかでいられたのは、ほんの僅かな一時だとも知らず。



交流会が始まって四日目。
教室で移動の準備をしていた私の耳に、遠くから小さな囁き声が聞こえる。
「…あら?凛様、もうお戻りになったの?」
「何言ってるの?ずっといらしたわよ?」
ヒソヒソと話す声が耳障りで、私は思わず眉を寄せる。まただわ…もういったい、同じ様な台詞を何度聞いたのか。
こんな風に耳に入って来る事もあれば、恵さんみたいに直接問われる事もある。
例えば誰かと勘違いされているとしても、こんなにも間違われるだなんて不愉快極まり無い。そんなにも自分に似ている誰かがいると思うだけで、気味が悪くて嫌悪すら抱いた。
加えて交流会に駆り出されてばかりで忙しなく、蓮の顔を全く見れていない。昨夜は電話をしても、出掛けていると言われ声を聴く事すら許されなかった。側にいるのが当たり前に思っていた愛しい人に会えない事が、より私の苛立ちを煽り心を曇らせる。
でもどうしてかしら…こんな状況は初めての筈なのに、何故か味わった事がある様なそんな既視感を覚えた。だけど思い出そうとしても記憶の中に掛かった紗幕を、取り除くことは出来ない。
そんな事を感じる感情はとても醜くて、私には似合わないと小さく息を吸い込むと、強張った表情を解して口の端を上げて笑みを作った。
教室を出て廊下へと歩を進めると、いつもの様に生徒達は絨毯の脇に立ち私に道を譲る。羨望に満ちた目で見られるのは当然で、それを受けて私は笑顔を振りまいて歩いていた。だけど心に残るわだかまりはそんな視線すら好奇の目では無いかと疑い、その表情はどこか強張って口の端が引き攣る。
それを悟られまいと、まるで逃げる様に階段を下る為に廊下を曲がった所で、見知った男子生徒と鉢合わせた。
「あら玖夫さん、ご機嫌よう。」
「え…凛様…」
彼の横に蓮の姿が無い事を少し残念に思いながらも、声を掛けた私に玖夫さんは目を大きく見開いて言葉を詰まらせた。ああ、またこの反応だ…思わず歪みそうになる笑顔をどうにか崩さぬままで、彼に問う。
「どうかなさいましたか?」
私の言葉に促され、戸惑いながら彼は口を開く。
「凛様…先程まで、蓮と一緒でしたか?」
それは思いもよらぬ問い掛けだった。
「いいえ…?今日は…彼に会ってはいませんが。」
嫌な予感がして、胸が騒めく。心臓が鼓動を早くして、私は息を飲んで平静を装おう。
「玖夫さん…蓮を…私を、どこで見掛けたのですか?」
だけど絞り出された声はいやに低く、口の端が痙攣して上手く笑えない。自分の顔が強張っているのを感じたけれど、取り繕っていられる余裕が私には無かった。
玖夫さんはそんな私の異常に気付いたのか、口篭りながらそれに答えた。
「薔薇の庭園の方で…」
その言葉を聞き終わらぬ内に、私は身を翻し気付けば駆け出していた――


ドクンドクンと心臓が警告のように鳴り響いて、私の足を早めさせる。薔薇のアーチが見えて来て、私はそこで足を止めた。息を飲んで唇を噛み締めると、ゆっくりと垣根の中へと入っていく。
どこかで聞いた事のある、女の笑い声がした。
一歩踏み締める度に、背中に汗が滲む。
垣根が途切れ、広場に差し掛かり心臓の音に急かされるように私は、垣根の影から中を覗き込んだ。

心臓が破裂してしまいそうな程に、音を響かせる。

私の目に飛び込んできたのは、愛しい人の後ろ姿と――その腕の中に顔を埋める、赤紫色のセーラー服。

世界が反転したんじゃないかと思う程に、視界が眩んで体が小刻みに震える。
何が起きているか解らなかった…信じられなかった。信じたくなかった。
頭が真っ白になって色を失った世界の中で、目に痛い程の鮮明な赤紫だけが焼き付く。悪夢の様なその光景を、凝視していた私の唇が勝手に動く。
「なに…して…いる…の」
言葉にすらならない声に、蓮の体が小さく反応する。ゆっくりと振り返った彼は、私の姿を捕らえるや否や酷く驚いた顔をした。
「凛…!」
蓮が反射的に私の名を呼ぶと、腕の中の少女はそれに気付いて彼から体を離す。
その女の顔を見て私は驚愕して息を飲んだ。
その顔は――鏡に映した様に私に瓜二つだったのだ。
皆が見間違える私の偽者、姿を見せない蓮…それが物語る最悪の形。気味の悪い胸騒ぎの真実がそこに存在した。
動く事を忘れていた心臓が、突然動き出すと沸き上がる感情に囃し立てられる様に私は声を上げた。
「――何をしているかと聞いているのよっ!!」
自分のものとは思えない程低く荒げられた声が、耳に痛い。抑えられない感情を、私は私によく似たその娘に向けて吐き出す。
「私の婚約者に触れるだなんて、汚らわしい!その手を離しなさい!」
喉が張り付いて声が掠れる。取り乱す私から逃れる様に、その娘は蓮から離れると踵を返して走り出す。
その背を追う事もよりも、私はすぐにでも彼の元へ向かいたくてその足を動かす。土を踏む感触が伝わらない足はふらついて、そのまま蓮に倒れ込む様にしがみつく。
「蓮…どういう事なの!?ここで何をしていたの!?あの娘は誰なのっ!?」
「凛…っ!」
蓮の顔を見る事もせず感情的に捲し立てる私の肩を、彼が押さえて名を呼びながら静止する。だけどそんな事を聞き入れられる訳も無く、私は顔を上げて蓮にしがみつく。
「ねえ、蓮!あの娘が勝手に、貴方に言い寄って来た…そうなのでしょう?私に似た顔で、貴方を騙そうとしたのでしょう?」
そうだと、ただ一言それだけ言ってくれればいいと答えを乞う。だけど蓮は口を閉ざし、ただ目を凝らして私を見つめる。流れる沈黙が恐ろしくて、私はより声を張り上げた。
「あんな娘に、心を許したりなんかしていないでしょう?誑かされただけよね…ねえ?答えなさい蓮!!」
胸元を掴んだ手に力を込めて、振り絞った声で問う私の言葉に蓮は眉を寄せる。そして瞼を固く閉じて、力を込めたた声を落とす。
「すまない…凛」
心臓がまた大きく波打つ。
先程までの勢いのまま返す言葉を見付けても、喉が渇いた音を漏らすだけで声にならない。そんな自分を奮い立たせて、必死に返す言葉を探した。
「…どうして……謝ったりするの?」
そんな質問は無意味だと分かっているのに、問わずにはいられなかった。震える声で見上げる私を、ゆっくり開いた瞳が捕える。
「凛…君に言わなければいけないと、思っていた…」
その瞳はどこか冷え切っていて、私を愛する優しい微笑みはどこにも無くてまるで知らない人を見ている様なそんな気さえして胸が騒めく。
「僕はもう…君に相応しくない。」
愛しい澄んだ低音がいやに耳に障って、心臓の鼓動が痛いくらいに鳴り響く。
「何…言ってるの…?」
「責めるなら僕を責めてくれ。僕が自分から選んだんだ…」
信じられなかった。信じたくなかった。理解してはいけないと、体がそれ以上を聞く事を拒否して私はぎこちなく頭を振った。
「嘘…よ…」
「嘘じゃ無い。僕は、君に許されない事を…」
「やめて!もう何も言わないで!」
聞きたくない!聞きたくない!蓮の声を遮る為に、耳を塞ぐ。だけど私の肩を持った彼から、逃れる事は許されない。
「凛。僕はあの娘を――」
「やめて!!!!」
その後に続く言葉をかき消したくて、力いっぱいに声を張り上げる。そんな私の肩から手を外した蓮は、酷く悲しい瞳で私を見つめる。やめて…そんな瞳で私を見ないで、憐れむようなそんな瞳はやめて…!
言葉にならない叫びが頭の中で反響して、取り乱す私から蓮はついに顔を背けた。
「……ごめん。」
塞いだ耳をすり抜けて届いた、残酷な言葉だけを残して蓮は私の横を通り抜け、垣根の向こうへと姿を消した。
途端、体から力が抜けてその場に倒れる様に座り込む。
いったい何が起きたの…?どうしてこんな事になったの…?どうして…あの娘を選んだの!?
地面に突き立てた爪が小石に食い込む感触がしたけれど、湧き上がる悋とした感情で何も感じなくなる。
居た堪れない程に白く咲き誇る薔薇の中の一輪の花が、茶色く変色して花弁を地面に落とす。
美しさを無くして地に堕ちる姿は、今の私そのものを映している様だ。
その後にどうやって帰路についたのか、覚えてない。
ただ部屋に閉じこもって四六時中、悩んで悩んで悩み抜いて、涙を流す事も出来ず吐き出し方を忘れてしまったかの様に、体は醜い感情に犯されていく。
こんな感情を知るはずも無いのに、頭の中で何かが燻って思い出せと頭痛を呼び起こす。
ガンガンと警告音が鳴り響く脳内に掛かった紗幕が、剥がれ落ちていく。
そこには覚えのない幼い頃の私の姿があった。
涙を溜めて鋭い瞳で罵声を浴びせる、幼くて醜い私と…その視線の先のもう一人の私の姿が。
唐突に呼び起こされた記憶は、思い出さないように蓋をし続けた汚れた真実。
それは小さな私によく似た悪魔の存在。
ああ、あれは悪魔だ。私によく似た顔で、周囲を騙し彼を誑かす悪魔なんだ。
彼は悪い魔法に掛かってしまっただけなんだ。だからあんな汚れた瞳をしていたんだ。
それならば、助け出さなければ。ああ…もうダメよ。美しくなんていられない。



彼が連日、夜になると出掛けている事は知っている。
あの娘に会っていたのだと思うと、心は穏やかでいれないけれど…私はそれを利用した。
蓮の家に電話を掛けると、受話器を取った使用人に伝える。
今日は急用が出来たから、会えない…と。きっとあの娘はこうやって、私のフリをして彼を呼び出していたのでしょうから。
その証拠に、使用人は何も不思議に思う事もなくその申し出を聞き入れた。
空には白い月が浮かび、時折雲に隠れて姿を消して深い闇へと辺りを染めていく頃。
私はあの庭園の前に立っていた。
此所にいる確証なんて持っていなかったけれど、あの娘ならきっと此所を選ぶだろうと思った。
白い薔薇に囲まれる中で、彼に愛される自分を見せ付ける為に…。
カシャッ…制服のポケットの中で、擦れた金属音をそっと押さえて私は歩を進める。
垣根を越えて広場に出ると、そこにはやはりあの娘がいた。
噴水の脇に腰をおろして彼を待つその娘は、現れた私の姿に然程驚く事も無く口の端を上げた。
「きっと来ると思いましたわ。凛お嬢様。」
私に似過ぎたその顔で、私によく似た声で、私の名を呼ぶ少女を酷く憎らしく思う。
「どうして…こんな事をするの…!」
「こんな事?」
力の籠った声で問えば、少女は態とらしく聞き返して見せた。それがより私の怒りを煽る。
「どうして蓮を誑かしたのか聞いているのよ!」
「誑かしただなんて、人聞きが悪い…私はただ彼を癒して差し上げたかっただけですもの。」
ゆったりとした口調で、何も動じない素振りを見せる彼女に私はより声を上げる。
「蓮の事を本当に愛してもいないくせに!あなたは私から彼を奪いたいだけなのよ!!」
「…どうしてそう思われるんです?」
首を傾げて吐息にも似た声でそう問う彼女に、私は奥歯を噛み締めて喉の奥から声を出した。
「あなたが…鈴…だからよ!」
それは昔…小さな私の記憶の、隅の隅に刻み込まれたその名を口にする。
「ああ、やっと思い出して下さったのですね?」
甘ったるい口調でそう言うと、実に嬉しそうに目を細めた。

「あなたの妹の存在を…」

それは忘れてしまいたかった、思い出したくも無かった私の汚れた血筋。
女にだらしない父が、外に作ってしまった子供。私と同じ顔で同じ年で…同じ名を持つ娘。
「妹だなんて認めていないわ…!」
「そうですわね。でも紛れもない事実ですのよ?」
鈴の存在を知ったのは、まだ私が幼子の頃。
家の外で私の偽者が出たと、使用人達が話しているのを聞いた。そのすぐ後で、父に連れられてこの娘は現れた。
その娘に向ける父の顔も、瓜二つのその顔も、気持ちが悪いと心の底から嫌悪した事を覚えてる。
母は毅然とそれを受け止めて、取り乱すなと私に言った。
だけど私にはそれが出来なかった。認められなかった。だから彼女の存在を否定して、忘れ去ったのだ。
「あなたの事を認めなかった私に対する当て付けで、こんな汚いまねをするのでしょ!?」
「そうね。…確かに私は口では言えないような…あなたには一生掛かっても分からない醜い生き方を強いられて来た。でもね凛。それとこれとは別の話なのよ?」
冷静さを掻いた私を嘲笑うかの様に、鈴はその言葉を口にした。
「だって元々、蓮様が恋をしたのは私なのですから。」
あまりの馬鹿らしさに、勝手に笑い声が漏れた。
「あはは…何を言ってるの?そんな事ある訳無いじゃない…!」
鈴はそんな私を、本当にそう思うのと言いたげに真っ直ぐ見つめる。
「そうやってあなたは高嶺に居続けて、夜話でも語りながら悠々といらっしゃればいいわ。」
その言葉が妙に引っかかり、私は眉を寄せた。頭に過ぎる考えは、到底認められる様なものでは無くて私はそれをかき消したくて返す言葉を見付けるが喉が渇いて上手く呼吸が出来なくて拳を握り締める。
「ねえ、それに焚きつけたのは他でも無いあなたじゃありませんか?」
鈴が何を言いたいのか理解出来ずに、問い掛ける代わりに目を凝らす。
「蓮様の家に電話を掛けた私に、あなたがご自分で言ったんですのよ。焦がれた人に会いたいのならば、高嶺の隔てを壊しておいでなさいって。」
「あれは…あなただったの…?」
私の問いに鈴は、ゆっくりと頷いて見せた。
それは交流会が始まる前、蓮の家に掛けられた一本の電話。彼が私以外を愛する訳がないと信じながら、彼に近付く女は許せ無くて牽制をした言葉。それが結果、二人を切り裂く言葉をそこに咲かせたというの?
「ねえ凛、蓮様を取り返そうとしてももう無理ですわよ?」
「何を言ってるの!私の方がずっと彼の横にいたのよ!私の方が彼を知り尽くしているわ!」
自分の行動が間違っているだなんて考えは、消し去ってしまいたくて必要以上に私は声を荒げる。
「いいえ。あなたが白薔薇で居続ける限り、彼が本当に望んでる事は絶対に解らないわ。私ならそれを彼に与えてあげられますもの。」
鈴が何を言いたいのか分からなかった。解りたくなかった。
だけど心臓はその気持ちを煽る様に、鼓動をより早めて呼吸が荒くなる。
脳裏に過るのは、最後に会った愛しい人の顔。
冷たい瞳、険しい表情、非情な言葉…知らない人間の様な蓮…。
「触れる事も許されぬ孤高の薔薇よりも、棘の無い百合を摘みたくなるのが男の性というものですわ。」
そんな事ない…そんな事ある訳がない!
それならば、私が信じてきた事は何だというの?
触れられぬ程に気高く、愛を受けて美しく…そうして生きてきた私を否定するというの?
叫びたいのに、拭い去れない不安と焦りに反応が鈍る。
頭が痛くて目眩がして、耳障りな声を消したくて私は耳を塞いだ。
「よろしいではないですか?富も名声も全てあなたはお持ちになっているでしょう?」
それでもあの甘い声は、指の隙間をすり抜けて纏わりつく様に音を残して吐き気を覚える。
聞きたくない…聞きたくない!
「……さい…」
声が掠れて言葉にならない。そんな私の声は鈴の耳には届かないのか、いつまでたっても変わらぬ口調で話し続けた。
「蓮様に愛されなくても、あなたには他に相応しい方がいらっしゃいますわ。」
「――うるさい!!」
悪魔の声に耐え切れなくなった私は、我を忘れて鈴に掴みかかろうと手を伸ばす。急かされた様に動かした足は縺れて小石に躓き、そのまま彼女を巻き込んで倒れ込んだ。
地面に仰向けに叩きつけられた鈴の上に、私が覆い被さる様な形になりそれでも尚、鈴は何かを言おうと口を開く。その口を塞いでしまいたくて、その声を消してしまいたくて…気付くと私はその首に両手を掛けていた。
力を込めると鈴は苦しそうに顔を歪ませたけれど、その口の端は上がっている。
「わた…を…ころす…の?そんな事…して……彼は…帰って…来ない…わよ?」
ああ…そうだ。この娘の言う通りだ。こんな事をしたって、蓮が戻って来る訳ない。だって、彼の心はこの悪魔に奪われたままだ。どうしたら…どうしたらいいのだろう?どうしたら彼は私の元へ、帰って来てくれるのだろう?
彼女の首を絞めている筈なのに、どうしてか追い込まれているのは私の方に思えてその手を緩める。

――…カシャ…小さな金属音が耳に届いた。

まるでそれが合図の様に脳内に一つの答えが導き出される。ああ…そうか…それならば…。

私はゆっくりとポケットに忍ばせた、それを取り出した。雲間から覗いた月の明かりが反射して、私の手の中にある金色の鋏が鈍く輝く。それを見た鈴の瞳に僅かに恐怖の色が宿ると、その喉が息を飲み込む音がした。
私はそんな彼女の心を嘲る様に、その鋏を握り締めると勢いよく突き立てた――

ジャキッ…――

大袈裟な音と共に鈴の上にハラリと、輝きを無くした髪が落ちる。

ジャキ…ジャキ…狂った様に、鋏を動かす私の行動を、理解出来ないという表情で見ていた鈴は…やがて私がその手を止めた時、その目を大きく見開いて乾いた笑いを零す。
「…まさか、凛…あなた…」
その大きな瞳に映る私の姿は、長く伸びた髪を顎のラインで全て切り揃えた目の前ににいる彼女そのものだった。

「私に成り代わるつもりなの…?」

鈴のその問いに私は答える事もせず、ただただ無関心にその姿を見下ろした。
「あは…あはは…あなたがそんなに愚かだなんて思いませんでしたわ…。あなたが私に成り代わるなんて絶対に無理よ。ねえ、分かっているの?それが何を意味するか…?」
「ええ…勿論よ。」
富も名誉も何もかも捨ててでも、手に入れたいの。愛されなければ、美しくなんていれない!それが例えば、私じゃ無くても…
「蓮がいなければ、何の意味も無いのよ!リンは、一人で充分よ!」
叫ぶ様に声を上げると、私は今度こそ鋏を両手で持ち替えて天高く振りかぶった――



カラン…乾いた金属音が地面に落ちる。
紅い…紅い、彼に貰った香水の様な液体がじんわりとその場に滲む。そこから、噎せ返る程の薔薇の香りが立ち込めているような気がした。切り落とされた長い髪が、そこに横たわる少女の上に乱雑に散りばめられている。
力無く瞼を閉じた少女は、もう動く事は無い。
哀れな娘の成れの果てを眺めた私の口元からは、自然と笑みが溢れ落ちた。
その時、静まり返った庭園に忙しない足音が響き渡る。足音はこちらへと足早に近付き、垣根の向こうから姿を現したのは私の愛しい人だった。
彼は横たわるあの娘と、立ち呆ける私を交互に見て酷く驚いた様に目を見開いて口元を押さえた。
「…蓮…」
そんな彼の名を呟く様に呼んだ声は、吐息混じりであの娘によく似ている。私の呼び掛けに、我に返った彼は焦点を私へと合わせて歩を進める。
「鈴さん!いったい何があったんだ…?」
慌てた口調で問い掛ける彼へと一歩踏み出した足がふらついて、倒れそうになる私の体を彼が支えた。
「突然…あの娘が、鋏を私へと向けて…私はそれに抵抗して、無我夢中で……」
「すまない。もっと僕が早く駆けつけていたら、こんな事にならずに済んだのに…」
苦々しく顔を歪め悲痛に嘆く蓮に、私は小さく頭を振ってその身を彼の胸に埋めた。
「鈴さん…」
彼はそんな私の体を優しく抱き締める。
ああ…温かい…。彼の鼓動の音が聞こえるほどにこんなに近くにいる。
私を愛する心を感じた。凛では知る事の出来なかった喜びを感じられる。
歓喜に胸が震えて、気分が高揚した。
顔を上げればすぐそこにある彼の顔を見上げると、私を気遣う優しい表情がそこにあった。
「蓮様…もうあの娘の事はお忘れになって…私をいつもの様に愛して下さいませ」
両手を伸ばしてまるで私らしくないその言葉の羅列を並べると、そんな私を慰める様に慈しむ様に目を細めて見つめる。瞳と瞳が絡み合い、どちらともなく瞼を落としその唇に口付けをする。
初めて味わう幸福に胸が高鳴って、私はそのまま彼の首元に腕を回した。

――おかえりなさい――聞こえないくらいの小さな声で呟く。

恋をしたのはどちらの花だったのか、そんな裸の魔法はもう解かれたの。
だから…甘い甘い香りで貴方を許して差し上げましょう…。

彼越しに見る、憐れなもう一人の私。
残酷な運命に翻弄されて、巡りに巡ってまたあの娘にそれは刺される。
枯れ果てて散った、色褪せて消えた…さようなら、彼を汚した花よ。

ああだけど…貴方の腕に抱かれるこの花は、いったい何の花なのでしょうか?

~fin~



コメント

橙 橙-ORANGE-
はなくらべはとにかく150P様の楽曲にまず惹かれました!powerとsweetの声の掛け合いや、焦燥感を煽るような和楽器の音!
和宮様の歌詞の昭和浪曼な感じと妖艶な雰囲気が合わさり、鳥肌が立ち気付けば妄想しておりました。
二人のリンに取り合いされるレン…お前なんて役得なんだレン…お前どうしようもないなレン…と、ひたすらに思いながら書いた次第ですw
鈴(sweet)が酷く悪役になってしまいましたが、彼女はきっと色々苦労したんだろうという裏設定もあったりします。
実はLOVERの報告の際に、十四様から貴重な未発表の画像と設定資料を見せて頂き歓喜に震えました。
薔薇と百合を全面推ししたのもそれがあったからなのです!
十四様、その節は本当にありがとうございました!
タイトルは敢えての昼ドラ風です!ww
150P様、和宮玲奈様、十四様、素敵な作品をありがとうございます!

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