NOVEL

最悪のカーニバル


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先程の高鳴る鼓動は一瞬にして動きを止め、全身の機能が停止する。足元に落ちているよれてしまった紙切れは最早恋文と呼ばれるそれとは言い難く、途方もない虚無感に支配される。一歩も動けず膝から崩れ落ち、数分前まで焦がれていた相手が捨てたのであろう無残にも土汚れてしまった手紙を拾い上げ胸に抱く。道行く人が私の様子を不審な目でチラチラ見ては通り過ぎていくがそんなの大して気にならない。アスファルトの冷やりとした感触がやけに気持ち悪い。潮風が強く吹いて、そこで初めて背後に立っていた少年の気配に気付く。
「……なに」
「泣いてるの?」
指摘されて、振り向かないまま自分の頬を撫でてみるが水滴は落ちてないし服も濡れていない。どうせ適当なことを言ったのだろうと割り切り改めて少年の顔を見る。自分と同じ瞳の色、同じ髪の色。まるで自分を生き写しているような、鏡を見ている感覚に陥る。嘘を付いているとは到底思えないその吸い込まれそうな真っ直ぐな瞳が眩しくて腹が立って、同時に後悔と少しの嫉妬が身体を駆り立てる。後者は多分、小脇に抱えた小桜色の包み紙を視界に入れてしまったからだと思う。
「状況がよくわからないけど、何かあったんじゃ」
「悪いことは言わないから、見なかったことにして」
 言い終わらない内に立ち上がり、返事を聞く前に足早にその場を去った。後ろの方で呆然と立ち尽くした彼の姿が容易に想像できる。が、他人に構っていられるほど情緒は安定していないし見ず知らずの人間に醜態をさらしてしまった羞恥心が今になって込み上げてきた。早歩きだった私の速度は次第に上がり人の波に逆らって風を切る。すれ違う人の、幸せそうな顔を見るたび自分だけが不幸を背負っているのではないかという錯覚にずしりと重たい何かが圧し掛かる。どいつもこいつも浮かれた顔をして。自分が馬鹿みたいだと嘆いてみるものの返答なんか無いわけで。今更目に溜まってきやがった液体を零すまいと全速力で駆け抜け、目的地である小さい喫茶店に予定より数分遅れで辿り着く。古びた重たい扉を開くと、店のオーナーであるマスターが遅刻だぞと渋い顔で息を切らせて入ってきた私に投げかける。
「鬼みたいな面してないでさっさと中入りな」
 それだけぽつりと言うと奥に消えてしまう。捻くれた自分を受け入れてくれるこの店と店主には随分お世話になっている。しつこく聞いてこないのは有り難いし、ここなら本当の自分がきっと見つかるとマイクを握ったあの日の選択は正しかったかもしれない。後を追うようにオーナーが入った隣の衣裳部屋に入り、いつものように黒のドレスをまとい立て掛けてあるギターを手に取り、私の一日は始まる。さっきのは、きっと夢だったんだ。

 今日の客の入りはまちまち。いつもより少し少ないというだけで何ら支障は無い。殆どが会社帰りのサラリーマンやOL達で、残業手当が低いだとか気になる彼とは進んでいるのかだとか、他愛も無い会話のBGM程度に私の歌を聴いてる連中ばかりだ。だからこっちも気負わず歌い続けることができる。
このステージで歌っている時だけがスポットライトが当たっているその時だけがありのままの自分で嫌なことも全部忘れられる瞬間だから、そもそも人数なんて構いはしない。普段通りリクエストされた十八番を歌い上げ、軽く頭を下げると小さな階段を降りそこで私の仕事はお終いになる。控え室に戻ろうと奥に下がろうとすると、ふと、小さな拍手が耳に入ってくる。今は誰もパフォーマンスはしていないし一体誰が、と辺りを見回す。音を頼りに目線の先に居たのは、自分に似た髪色に目の色。昼間出会ったあの少年が、確かに私だけに向けて拍手を送っていたのだ。
「驚いたよ。随分格好が違うから」
 カウンター席に座っていた彼は一人で、右隣の椅子をくるりと回しどうぞと微笑む。不本意ながら、促されるまま近付いてギターを立て掛け隣の席へ腰を下ろす。しかし最初に会ったときのあの幸せそうな面影はどこにも無い。代わりにどこか寂しそうな表情を浮かべお疲れ様とオレンジジュースを差し出す。
「子供扱いしないで」
「いや、だって君未成年でしょ。俺と歳変わんないように見えたから」
 ということはこいつもまだ子供なのか。雰囲気が大人っぽく一瞬疑ったが、バーで働いている中卒が言えた事じゃない。あくまで客と店員、邪険に扱うわけにはいかず渋々グラスを受け取り、一気に飲み干す。
「衣装もだけどさ、さっき会ったときより表情が和らいでるね。全然違う」
「そういうあんたも全然違うけど。さっきまでの幸せそうなバカ面はどこ行ったんだ」
 言ったあと、左隣の席に置いてある包みが目に入る。苛立ちの原因でもあったそれは持ち主と同じく萎れた贈り物に成り下がりじとりと私を見上げているように思えた。
「告白する勇気も無い俺は馬鹿で十分さ」
 渡せず終いになったそれを眺めながら言う彼の背中は後悔の念が痛いほどわかる。自分を情けなく思う姿も後になって悔やみ歪めた顔も鏡の前で痛いほど見てきた。
「君はすごいな。歌っているときの姿はまるで別人みたいだった」
「だって、別人だもの。数分前の無様な自分とは別れたよ」
 いつだってそうだ。数日前の堕落した生活や十数時間前の下心しか持ち合わせていなかった接客態度も全部嫌になって投げ出したくなる。そんなときはさっさと別れを告げて次に繋げてしまえばいい。
「今日より明日、明日より明後日、そのさきのことはわからないけど、数秒前の自分より輝いてみせる」
 結局この世はやったもん勝ち。自分から動かないと椅子取りゲームで勝てる訳が無い。当たって砕けた方がよっぽど楽なんだ。
「あたしは叶わなかったけれど、どうするの。何もしないまま終わっていいの?」
 気弱になったその瞳に訴えかけると、はっとした顔とようやく目線がかち合う。同時に私の苛立ちも消えたように感じた。
「あんたの夢はまだ手の届く場所にあるんだろ。だったら強引に捕まえちまいな。」
 自分と似た表情を浮かべるこの男がもしかしたら腹立たしかったのかもしれないし見ていたくなかったのかもしれない。自分勝手かもしれないが、少しずつ変わっていく表情を見ていたかったのもまた事実だ。
「こんなとこで終わったこと後悔してる暇があったらさっさと出てけ。そんでもう一度伝えに行け」
 私が言い終わらないうちに店の扉が荒々しく開かれる音がして、隣の席は空になっていた。反動で水面が揺れている飲みかけのブラックコーヒーを眺め、こんなにお節介焼きだったかと少しだけ思考を巡らせていると店奥から名前を呼ばれる。〆にもう一曲オーダーが入ったらしい。軽く返事をして脇に立て掛けてあるギターを持ち上げ席を立つ。慣れてないことをするもんじゃない、今日は本当に最悪の日だ。



最悪のカーニバル

コメント

かぷち かぷち
素敵な企画にお邪魔させていただきました。
ライブさん家のかっこいいリンちゃんと、
りおこさんの素敵なイラストにノックアウトです。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

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