NOVEL
五番目のピエロ
午前二時…草木も眠る丑三つ時。街灯すらも点灯していない暗闇の街を、少年は歩いていた。暫く歩くと、彼は路地裏に入り、壁に背中を預けた。
少年は右手に持ったナイフをくるくると回して弄びつつ、左手に持った小さなメモを眺めていた。そのメモには街中の富豪から政治家まで、ありとあらゆる金持ちの名前と住所、そしてその横には少しスペースを空けて日付が書かれていた。彼は今日の日付の人物名を読み上げると、今夜の犠牲者はこの人かあと呟き、メモを仕舞い、まだあどけなさの残る幼い顔にニヤリとニヒルな笑みを浮かべて口を開いた。
「悪い子にはお仕置き、しなくちゃね」
それが僕の仕事だもん、そう言うとメモに載っている住所を確認し、彼は目的地に向かって再び歩き出した。
この街の道などを全て頭に叩き込まれ、把握しきっている少年は住所さえ分かればどんな家でも辿り着くことができる。彼はそのおかげでこうして毎晩仕事がこなせるのだ。
少年は月明かり以外何も光のない路地裏にコツコツと足音が響かせながら、踊るような弾んだ足取りで歩く。彼が歩くに従ってゆらゆらと揺れるテールコートの様な服の裾、その中の布地には洗濯で落ちなかったのであろうか、少し色褪せて茶色っぽく変色した返り血が付着していた。それは彼が先程言った悪い子にお仕置き…つまりは人殺しをしたときに付いたもの。しかし彼はそれが、人殺しが犯罪であることなど知る由もなく、ただ一人の女性に褒めてもらう為だけに罪を重ねるのだ。
どれくらい歩いたのだろうか、彼は大きく豪華な門のある大きな屋敷の前でぴたりと立ち止まった。そして年相応の可愛らしい笑みを浮かべ、こう呟いた。
「早く仕事を終わらせて、サンタさんに褒めてもらおうっと」
少年は先程まで浮かべていた年相応の笑みを冷酷なものに変えると、門を軽々とよじ登り、さっさと屋敷の中に入っていった。そして適当に屋敷内を歩き回り、扉の一番大きな部屋を見つけると、躊躇うことなくその部屋のドアノブに手を掛け、無遠慮にも思い切り引いた。ギイイと大きな音をたてながら扉が開く。が、室内のベッドで気持ち良さそうに寝息をたてているこの屋敷の主人らしき小太りの男性はその音にぴくりともせず、未だ眠っていた。
それをいいことに少年は男性につかつかと近付くと、先程弄んでいたナイフを左の胸元に宛てがう。月の光に照らされたそれは、銀色に光っていた。そしてそれに気付く気配すらない男性の胸にナイフを突き立てた。
力をこめたそれは、ミチミチと音を立てながら肉を切り裂き、男性の胸の中に深く突き刺さった。パジャマに血が滲む。ベットのふちなど周りには大量の返り血が沢山付いている。おまけにベッドの上は血溜まりだ。暗い視界の中に映る大量の赤。寝息がしなくなったことからして死んだのは確実であろう、しかしもし死んでいなかったらいけないからと思い、少年はぐりぐりとナイフを細かく動かし、肉を抉りながら男性の胸の更に奥へとナイフを進めた。ナイフを進めるにつれて噴出していた血液はどんどん少なくなっていく。もう大丈夫だろう、そう呟くと少年はナイフを勢い良く引き抜いた。
少年はふぅっと息を吐くと、服を見遣った。着ているピエロ服にはベッドなどに飛んでいるのと同じ深紅の鮮血が大量に付着していた。彼はあーあ、汚れちゃった、と少し拗ねたように呟くと、血濡れのナイフと返り血の飛んだ顔を服の血の付いていない部分で拭い取ると、バルコニーから下の茂みに向かって飛び降りた。バキバキっと音をたてて枝が折れ、一部が体に擦れる。衝撃と枝が擦れた部分に痛みを感じたのか、少年は少しふらつきつつも、ゆっくりと立ち上がった。そして再び門をよじ登り、屋敷を出た。そして、この家にはもう悪い子はいないからいいかと呟くと、足早に屋敷の前から姿を消した。
彼の言った通り、この屋敷には現在、先程彼が手を掛けた主人しかおらず、殺しは一人で十分だったのだ。夫人、メイドや執事は旅行と帰省で屋敷を留守にしていた。だからこそ当事者…先程少年が褒めてもらうと言っていたサンタさんはこの日をお仕置きの日にしたのだ。
行きと同じ道を歩くと、先程少年が訪れ、男性にお仕置きをした屋敷よりも随分と大きな豪邸が姿を現した。彼は迷うことなく門に近付き、門番の男性に僕だよと言って笑った。門番は彼が大量の血を浴びているのを確認すると、お疲れ様ですと言って門を開いた。それと同時に少年は屋敷の中へと続く扉を思い切り押した。
「五番目の道化師、只今帰還致しました!」
「お帰りなさい、レミー。今日は随分と早かったわね」
目の前でにこにこと優しい笑みを浮かべる目の前の女性―彼女こそ彼、いやレミーにお仕置きと称した人殺しをさせている張本人だ。しかし、彼女は孤児院に居たレミーを養子として引き取った母親代わりでもある。…まあ引き取った理由はレミーを可哀相に思ったから、という訳ではないのだが。
レミーはそんな彼女、犯罪組織ペールノエルの長であるジュリアを慕っていた。それに加えて幼く世間知らずなレミーは、ジュリアから吹き込まれたことを全て鵜呑みにし、信じ込んでいる。世界は間違いだはけだ、お仕置きは世界を正す為には必要不可欠なものだと。それは洗脳と呼ぶに相応しいもので、レミーはあっさりと彼女の洗脳に飲まれてしまった。そのため、彼は五番目の道化師としてジュリアに言われた通り、毎夜毎夜(彼には)何処の誰かもわからぬ金持ちや富豪の邸宅に忍び込み、お仕置きをするのだ。彼女に褒めてもらいたいが為に。
レミーは、今日はあの屋敷には太った豚以外居なかったからすぐだったんですと笑いながらジュリアに話した。それを聞くと彼女は再度微笑み、そうと言って彼の頭を優しく撫でた。
レミーは目を細め、気持ち良さそうにジュリアに撫でられていた。
* * *
先日のようにサクサクとお仕置きを終えて帰還したレミーは服を替えて、先程まで自分が着ていた服を洗濯し、血を洗い流す。そうして一通り事を終わらせると、彼は自分にと割り振られた部屋に入り、窓を開けて夜風に当たっていた。するとドアをノックする音が聞こえた。どうぞと彼が言うとドアが開く。窓から入る風でふわりと綺麗な桃色の髪が揺れる。
レミーは外套からはみ出ている桃色の髪を片手で弄っている女性を振り返って見遣る。すると彼女のコバルトブルーの瞳と目が合う。その綺麗な瞳から彼に注がれる視線はとても優しいものであるが、過去に何か遭ったかのように少し暗く影のある瞳には不思議な魅力があった。
彼はその綺麗な瞳を暫くじっと見ると、窓の外に向き直してから、何の用?と一言だけ吐き出した。目の前の女性はそれを見るとレミーに歩み寄った。そして彼にスッと手を伸ばすとにっこりと微笑みながら口を開いた。
「ねぇレミー、此処から抜け出したいとは思わない?」
「…なにそれ、サンタさんを裏切るつもりなの?エルルカ。君はとても優秀な魔術師、此処ではとても必要とされている…それなのに」
「ええ、それは重々承知。その上で言っているのよ」
窓から吹き込む冷たい夜風に美しい桃色の髪を揺らしながら七番目の手品師であるエルルカは言った。しかしレミーは彼女を見て、僕が乗ると思う?と言うとふっと馬鹿にするな笑みを浮かべた。
そんな彼に向かって、エルルカは溜め息を吐くと踵を返して部屋から出た。そしてドアを閉める寸前に、振り返った。
「嫌な予感がするわ、まだ幼い貴方が厄介ごとに巻き込まれないことを願ってるわ」
「ふーん…嫌な予感、ね。魔道師の勘って奴?まぁ警告として受け取っておくよ」
レミーがそういうとエルルカは少し悲しそうに目を細めながら、ひらひらと手を振った。彼は部屋からエルルカが居なくなった後、廊下を見た。しかしもうそこにあの美しい桃色は確認することは出来なかった。魔道師であるエルルカなら、嫌な予感の内容がなんなのか、どんなものなのか分かっているはずだ。その中身が少し気になり、聞きたかったのになあと少し残念に思いながら彼は静かにドアを閉めた。そしてドアに凭れかかって、ぼーっと部屋を見回す。そこで開きっぱなしの窓に気付いた彼は、窓を閉めようとゆっくりと歩みを進めた。そのとき、ふと窓辺に置きっぱなしのナイフが目に入った。暗殺稼業を始めるにあたり、ジュリアが買い与えてくれたもので、自分の愛用品だ。そういえば今日は研いでいなかたなあと考えながら窓に手を掛ける。すると、不意に自分がこの組織に来たときにジュリアから教えて貰ったことを思い出した。
「裏切り者は…サンタさんに、報告しなきゃ…」
窓に掛けていた手を離すと、少し駆け足でドアまで向かう。タンタンタンと廊下に自分の足音が響く。廊下のちょうど真ん中辺りにある階段を下り、大広間へと入ると、そこには暖炉に当たりながら、一瞬血だと勘違いしてしまいそうなくらいに深い赤色をしたのワインを飲んでいるジュリアがソファーに座ってくつろいでいた。ドアノブに手を掛けて大広間の入口に突っ立っているレミーに気付いたらしい彼女は片手でグラスを緩く回しながら、どうかした?と言って優しく笑った。
レミーは美しくも優しく笑んでいるジュリアに近付くと、跪いた。すると彼女は顔から笑みを消し、ワインを一口飲むと、グラスをサイドテーブルに置いた。レミーはそれを確認すると頭を下げてまるで先程のワインを零したかのような深紅の上質なペルシャ絨毯が敷いてある床を見て、ごめんなさいと口にした。
「七番目の手品師…エルルカ・クロックワーカーが、我々を裏切りました」
「それの元の情報は何処から?」
「僕自身です。一緒に此処から抜け出さないかと誘われました」
それを聞くと、ジュリアは思いきり眉をしかめて、不機嫌そうな顔を隠そうともせずにワイングラスを手にした。そして中身を全て飲み干すとボトルを取り、再びグラスを深紅でいっぱいにした。そしてそれをちびちびと飲んでいた。
レミーとジュリアの間に沈黙が生まれる。しかしレミーが僕は勿論断りましたけどと明るい笑顔を浮かべながら言ったことにより、それは消えた。ジュリアはそう、と言って再び笑みを浮かべると、彼の頭を優しく撫でた。その手はまるで、母親が病に倒れて亡くなる前にレミーを褒めるときにしてくれていたものと酷似しており、少しの切なさと懐かしさ。そして撫でて貰っている、褒めて貰っていると言う嬉しさと充実感とで胸をいっぱいにしながら彼はゆっくりと目を伏せた。
次の日にエルルカは屋敷から忽然と姿を消した。レミーがジュリアに何があったのか聞くと、彼女は苛立ちを隠そうともせずに行方知れずになったのだと告げた。彼はさして気にする様子もなくそうですかと一言呟いて、一礼をするとかなり苛立っているジュリアの前から立ち去った。
* * *
いつも通りの暗闇の街。そしてレミーはこの間の屋敷と割りと近いところにある裏路地の陰に入り、獲物…今日の標的を待っていた。壁に凭れかかり、あのときのようにナイフを片手で弄びながら。するとコツコツと足音して、レミーはその足音を聞いて弄んでいたナイフをゆっくりと構えた。こちらに近付いてくる足音、もう少しで此処を通る…そう思い、彼は陰から素早く身を出した。
刹那、パアンという発砲音がして、レミーは大きな音をたてながらその場に横たわった。
左の胸が痛い。発砲音に左の胸の痛み、どくどくと血の溢れる感覚…これは撃たれたということだろう。
彼はそっと左胸に触れる。未だに内部へと突き進む銃弾のせいで痛みは止まらない。まあ貫通していても痛みは変わらないのだろうが、これは明らかに心臓を狙っている。貫通していたならば即死だったはずだ。その方が幾分か楽だった。なぜそうしなかったのだろうか。自分を苦しめるためにわざとそうしたのだろうか。現実逃避のようにそう考えながら、痛みを訴える胸にそっと手を持って行く。心臓付近に弾が残っているのがわかる。嗚呼、痛い。そう思いながら胸に触れていたた手をぼやけている視界に入れる。その手の平には今まで幾度となく見てきた鮮血がべっとりと大量に付いていた。いつもと違う点を言うならば、それは自分の血であるということだろうか。
どんどんと遠くなっていく意識の中でレミーは必死に口を動かした。
「ぐ、…ッぁああ゛あ゛あ゛、あぁ、ぁ…し、にたくなッ…、い…!死にたくない、よ…死にたくないよぉ…い、やだ…っ、死に、た…くな、―…」
レミーはうわごとのように死にたくないと呟きながら、目の前でリボルバーをこちらに向ける少女、つまりは彼を撃った張本人を見た。黙り込んだまま、深緑の瞳を冷たく、お仕置きをする時の自分のような目をして、じっとこちらを見つめる少女。彼女はレミーと同じペールノエルの八番目の狙撃手だ。どんどん赤くぼやけていく視界、今にも途切れそうな意識の中で彼は急激な眠気に襲われ、心で呟いた。
とても、…眠い。溢れ出す血も胸の痛みも大分気にならなくなってきた頃、閉じて真っ暗なはずの目の前が少しずつ明るくなってゆく。そこで優しく微笑みながら、少し腰を屈めて手を差し伸べているのは、彼が幼い頃に亡くした本当の母親、そしてその横で手招きをしているのは同じく彼が幼い頃に亡くなった父親だった。その視線の先に居るのは言わずもがなレミー。両親を目の前にした彼は嬉しさからか、今にも泣きそうな顔をしている。
(お父さん、お母さん…もう少しで、また…会えるよ)
レミーは最後に微笑むと息を引き取った。その笑顔はジュリアに引き取られてからは一度も見せることはなかった、天使のような笑みだった。八番目の狙撃手はその笑顔を見ても表情を変えることはなく、リボルバーを仕舞い、踵を返してジュリアの居る屋敷へ戻って行った。
八番目の狙撃手が屋敷に戻ってから暫くするとレミーの遺体のある裏路地に一人の女性が入って来た。そして血溜まりも全く気にせず遺体のすぐそばまで寄ると、優しい透き通った声で彼の名前を呼んだ。
「可哀相な子ね、レミー。私はだから逃げましょうと言ったのに…けれどこれでよかったのかも知れないわね」
悲しげに微笑みながらエルルカはそう呟いた。そしてレミーを見ていた顔をゆっくりと上げて、星の輝いている夜空を見上げ、悲しげな笑みを慈しむような優しい笑みに変えた。
「レミー、お父さんお母さんと幸せにね…貴方と、貴方の両親の下に幸あらんことを」
今度こそ、本当に幸せになってほしいと、その一心でエルルカは言った。するとふわりと緩やかな風が吹き、彼女の長い桃色の髪を揺らした。それはまるでレミーが彼女にありがとうと言っているようだった。
エルルカは風が止むまでの間、夜空を見上げたまま、天使の笑顔を浮かべるレミーの遺体そばに居続けた。今頃両親と暮らしているであろう彼がずっと幸せであるようにと願いながら。
コメント
狼歌
完璧に自己解釈です、すいません…!皆様の考えているものと違う点があるとは思いますが、そこは他人の考えだからと思って目を瞑ってやって下さい…!
七つの大罪シリーズにも繋がっているであろうこの楽曲は、執筆するに当たってかなり緊張しましたが、とても楽しく、サクサクと進めることが出来ました。がレミーがお仕置きをするシーン、レミーが殺されるシーンだけはかなり詰まりました…。何しろ小説を書き始めて日が浅いもので、ああ言ったシーンは書いたことがありませんでした。けれど自分なりに頑張りましたので、ん?と思うところがあっても少し多めに見てやって下さい。
至らない点も多かったと思いますが、五番目のピエロの小説を執筆することができて嬉しかったです!では失礼致します…。