NOVEL
ハート通信
ココロに鍵をかけろ。幾重にも幾重にも。
けっして壊れることのように。自分以外に触れさせることのないように。
でなければ、「奴ら」に奪われてしまう!
『さて、次のニュースは連日世間を騒がせている『ハート泥棒』の続報について――……』
両耳に差し込んだイヤホンから絶え間なく流れてくる平坦な音声が発信する情報に、それまでイスに背を預けたままの状態で浅い眠りを食んでいた少年は下ろしていた瞼を機械的な動作で押し上げる。
「ふぁ……。少しはマシになったかな」
そう言って欠伸を噛み殺した少年の目の前で、コンピュータの横から突き出た管から噴出された煙が一瞬のうちに蒸発する。と、同時に眠気を覚ますための成分を含んだ霧が噴出されて、眠りから覚めたばかりの頭は次第に覚醒していく。
『被害者が増え続けているにも関わらず、その正体はおろかどこから出現したのかどうかさえ当局もまったく掴めていないのが現状です。接触した人の証言では、ハート泥棒は「音楽」を用いて正常な思考や判断能力を奪うとも――』
「……音楽だって? ありえない。どうかしてる」
するとそれまで表情らしきものを一切浮かべていなかった少年は「音楽」という言葉にのみ訝しげに眉を潜めて、吐き捨てるような声で呟いてから何度か頭を振った。
「まあ僕には関係ないけど……」
そんな少年の呟きに反応したかのように、イヤホンの向こうで情報を発信し続けているアナウンサーは『犯行は無差別で悪質きわまりなく、いつ誰のところにやって来るかさえ分かっていません。くれぐれも気をつけて、ココロに厳重に鍵をかけて警戒するように』という警告をくり返し発していたけれど、そんなことよりも目の前の仕事を片付けることのほうが先決だった。
すでに別の人間によって組まれたプログラムのチェックという地味で単調な作業ではあるが、その膨大な量に対して納期はもう明後日に迫っている。作業の効率を落とさない程度に睡眠時間を削ったとしてもいささか厳しいように思えた。
ここ数日は忙しさにかまけてろくに睡眠も食事も取っていなかったせいか少しくらい仮眠を取っても疲れは蓄積されていくばかりだったが、コンピュータの液晶画面の中央に設置されたカメラからサーモグラフで血圧・体温・呼吸数などを検出し、体調管理をしてくれているソフトが示している数値を見る限りではまだ体調を崩すほどではない。まだ大丈夫だ。まだ、壊れてない。
少年はそう自分に言い聞かせて、再び仕事に戻るために仮眠中は待機状態にあったファイルを開こうと画面上のパネルのひとつに指を伸ばした瞬間、目の前に映し出されていた四角い画面がぐにゃりと歪む。
なんだ、通信回線がおかしくなってるのか、それともこんなときにウイルスでも――…
ふいに口の隙間から潰れたような呻き声が漏れたかと思えば、額が液晶画面のちょうどカメラが内蔵されている位置に勢いよく叩きつけられる。痛みは動作の数秒後にやってきて、それもまた少し離れた場所で起こっている出来事のようにしか感じられない。額が打ちつけられた瞬間だけはわずかな乱れが生じたものの、それ以降は何事も問題など起きていないかのように正常な画面が映し出されている。
ああ、おかしくなっているのはぼくの身体の方なのか、と気付いたときには、額からは尋常ではない量の汗が滲んでいた。
やがて平衡感覚を失った身体が床に叩きつけられて、それまで座っていたイスが大きな音を立てて倒れたときには少年の意識はとうに失われて、ようやく異常に気付いたらしいソフトのエラー音だけが、気でも違ったかのように室内に鳴り響いていた。激しく、強く、何かを訴えかけるかのように。音は鳴り止まない。
夢の中で奏でられる音の連なり。その音は意識を手放したあとも頭の中で反響し、少年の中でまったく別のものへと姿を変えようとしていた。鼓膜を劈くほどのそれはまるで悲鳴のような、喉の奥から絞り出された叫び声のような――、この世界にはあってはならない、ココロを揺らす音。
ココロに鍵をかけろ。幾重にも幾重にも。誰にも触れられることないよう、壊されることのないように。強固な壁を作り上げろ。
でなければ、「奴ら」に――……
「おはよう。だいじょぶ?」
ふたつの大きなガラス球。
それも今までに見たこともないような、青い輝きを湛えたガラス球が、こちら側を覗きこんでいる。
それがようやく意識を取り戻し、ぼやけていた視界が開けてすぐに少年が感じたことだった。いつの間にか室内灯が落ちて非常用の小さな明かりだけが作り出すオレンジ色の薄暗闇にふたつの明かりが浮かんでいた。
目が慣れていくにつれてそれがガラス球などではなく、少年よりもやや小さな子供(見た目だけで判断するならば女の子のようだ)のふたつの瞳で、どういった用途を持っているのか分からない広い襟の下に結ばれたリボンと白くて細い足を惜しげなく見せている丈の短いズボン、華奢な手足を覆っている電子回路のような模様を浮かべた黒いカバーといった、今までに見たこともないような格好をした女の子のものだと分かると、少年は驚くよりも先に、頭に浮かんだばかりの疑問を口にしていた。
「きみは、誰。いったいどこから……」
「……え? あたし?」
するとそれまで窓辺に腰を降ろしてこちらを覗きこんでいた少女は大きな瞳を瞬かせると、唇に薄い笑みを浮かべた。肩のあたりまである綿毛のように癖のある髪が室内のわずかな明かりを反射して、訝しげに見つめていた少年の目を眩ませる。
「あたしは、誰でもあって誰でもない。どこにもいないし、どこにでもいる」
そう言って少女がわずかに身体を傾けると、頭の天辺で存在を主張している大きなリボンがかすかに揺れる。その瞬間に少年の頬に差していた光も揺れて、それが白くて淡い光を放ちながら輝いていることに気付く。
「何を言ってるのか全然分からないよ。とにかく今すぐに出ていかないと警備を――…」
言いながら壁際にある小さな連絡用のパネルに触れようとするが、いつの間にかシャットダウンされて黒く塗り潰されてしまった四角い画面はどれだけ触れても何の反応も示さない。どうやら非常用の明かり以外は完全に落ちてしまったらしい。
いつもなら建物全体のシステムによって、ここの住人が快適な暮らしが出来るように管理されているはずのこの部屋が、こんなにも長いあいだ無防備に晒されていることなどあり得ないことだった。まだ仕事は山ほど残っているというのに、ぴくりとも反応しない液晶画面。通信用のケーブルはあっても繋がっていなければ何の意味もない。たとえどんな危機に直面しても誰かに助けを求めることも出来ない。
そして自分が今何をすべきなのかを誰も示してもくれないことが、少年にとっては何よりも不安でたまらなかった。
「こっちの世界はとっても静かなのね。人が生活する音すらほとんど聴こえない。音楽なんて、もってのほか」
そんな少年の不安など知ったことではないと言わんばかりに、少女は開け放たれた窓の外から見える高層住宅の人工的な明かりに指を伸ばす。その無数の明かりから多くの人が住んでいることは明白なのに、そこには何の音も気配も感じられない。目に映るものすべてが海の底にでも沈んでしまったかのような深い静寂に、少女はしばらく耳を傾けていた。
「っ、当たり前だろ! 音楽なんて……!」
「音楽なんて?」
間髪を入れずに自分が口にしたばかりのことを聞き返されて、少年は思わず言葉を詰まらせる。
「音楽なんて……そんなもの、人の心を惑わせて、人生においてもっとも価値のある「時間」を奪っていく。第一級の規制対象だ」
少年が物心ついたときから「この世界」ではあらゆる技術の発達によって生活のすべてが機械化され、それまで人間が触れることは出来ないとされていた不可侵の領域――人工的な命の複製、そして「ココロ」の所在や仕組みまで完全に解明され、特定の電気信号を与え続けることで、人のココロを思いのままにコントロールことが出来るまでになった。それまで曖昧で不可解だったものが解明されれば、何が人間の生活にとって必要で何が不必要か、今までは必要とされてきた多くのものがどれだけ人の人生に、「ココロ」に悪影響をもたらしていたのかも明らかになった。
そして生きていく上で何よりも効率が重んじられ、一切の無駄なものが排除されたこの世界では、ココロを惑わすものは人間に害を成すものだとされて厳しく規制されるようになった。恋愛。文学作品。衝動的な欲望。
その中でも「音楽」はココロを激しく惑わすものとしてとりわけ厳しく規制され、それに関わった人間は犯罪者やこの世界では暮らしていけなかった不適合者のみが暮らしているとされる下層に追放されて、人としてのあらゆる権限を奪われる。
しかし大抵の人間がそんなものには興味を示すことなどなく――そもそも生まれたときから耳にする機会などないのだから示しようがないのだが――この「完全な世界」で、道を誤ることなく生きている。
「音楽、嫌い?」
「嫌いとかそういう種類のものじゃない。あってはならないんだ」
思わず口にした言葉に苛立ちや嫌悪が含まれていることに気付くと、少年はすぐに深く呼吸を吸いこんで平常心を取り戻そうとする。こんなことにココロを惑わされてはいけない。
「だけど、それでも音は世界に満ち溢れているでしょ? そこのコンピュータひとつをとっても、キーを叩く音、ボタンをクリックする音、機械が作動する音。こうして話している間だって」
「っ……!」
気持ち悪い。気持ち悪い。きっとコンピュータが正常に作動していたなら、少年のココロを管理しているソフトは異常な数値を指していただろう。
考えてみれば、こうして誰かと直接話をするなんてどれくらいぶりだろう。自分の声はこんなに変な声をしていただろうか。飲み下そうとした唾が喉に詰まって上手く喋れない。
それでもなぜだか言葉は口をついて、次から次へと溢れ出してきた。
「だ、から……みんな耳からは必要以上の情報を入れないようにしてる。言葉を伝えることだって、普段は通信装置を用いれば一瞬だ」
そう言って少年はずっと自分の首から垂れ下がっていた細い透明のコードに指で触れる。この専用の装置に接続して同じようにコードを繋いだ相手と通信すれば、伝えたいことは声に出すまでもなく一瞬で伝わる。常に必要な言葉だけを選別して伝えることが出来るこの方法なら、くだらない諍いやすれ違いなど起こるはずもない。そこに個人の感情なんてものが入り込む余地がなければ誰だって与えられた情報から正常に判断することが出来るし、自分にとって利益となり得ることだけを選び取ることだって容易だ。もう人間は目に見えない何かに惑わされることなんてない。これこそ誰もが望んでいた「完全な世界」だ。
「だけど、どんなに耳を塞いでいたって、音は一番近くにあるでしょ?呼吸の音、瞬きをする一瞬の間にだって、空気を振動させてる」
けれど彼女はその完全な世界にいとも簡単に侵入りこみ、誰もが完全だと信じて疑わなかったその中身が本当は思っているものとはまるで別のものなんじゃないかと問いかける。
完全なんてものがあるとすれば、それはただの空っぽな箱なんじゃないか、と――。
「そして一番近い心臓にだって。音はいつだって誰かのそばにあるわ」
少女はそれまで寄りかかっていた窓枠から背を離すと、何も言えずにいる少年の元へ一歩、また一歩、と近付いていく。
「心臓の音ってね、人が最初に出会う音なの」
トン、と左胸の上に重みがかかる。それはどう見ても少女の人差し指の先が軽く触れているだけで力なんてかかっていないも同然なのに、胸の奥の奥までを掴まれているような気がして、少年はそれだけでもう身動きが取れなくなってしまう。
「音が連なって重なって、空気を震わせたなら、ココロを震わせたなら。それはもう」
心臓の音がうるさい。普段は気にも留めていないようなそこから生まれる強すぎる震動に余計に気分が悪くなって、苦いものが喉元までせり上がっている。
「音楽になるわ」
すう、と息を吸いこむと、かすかに開いた少女の唇は少年がこれまでに耳にしたことのない音を奏ではじめた。囁くような低音が、長く伸びる高音が、不思議なくらい滑らかにこの部屋を満たしていく。音、音、音の連なり。
それが「歌」だということは、彼自身の中で大きく揺れているものが証明していた。ああ、これが。
だめだ。だめだ。聴くな。耳を塞げ。ココロを塞げ!
でなければ震えてしまう。空気が、音が、心臓が――…。
「この歌はあなたの中にあったものよ。眠っているあいだに夢の中で……」
「そんなわけない! 僕がそんなもの、知ってるはず――…っ!」
あり得ない言葉を並べられて、それまでずっと黙りこんでいた少年は思わず喉から声を張り上げてしまった。
すると慣れない刺激に喉は痛みを上げ、少年はそのまま声を継げずに何度も咳きこんでしまう。苦しげな音がようやく止んだ頃、少女はそれを待っていたかのように言葉を紡ぐ。
「声に出さなくたって分かる、曲なんてなくたって、そこに心臓を震わせる音があれば。ココロを震わせる音があれば」
喉が渇く。気持ちが悪い。頭が痛い。けれどそれでも耳を塞ぐことが出来なかったのは――…。
その続きを、どうしても聞きたかった。
「そこに君の音楽があれば、あたしはいつだってやって来るわ」
ああ、そうか。今やっと分かった。いや、もうずっと前から気付いていたのかもしれない。
こんなにもココロを惑わせる、君こそが――――…。
「君がハート泥棒なんだろ?」
「なぁに、それ。そんな名前で呼ばれてるの?」
少女はその名前に小さく吹き出してから、それまでの真剣な顔とはうって変わって、子供らしいイタズラな眼差しを少年に向けてきた。
「ちゃんとした名前があるんだから、そんな物騒な名前で呼ばないで」
「……へえ。何て?」
「それはね――……」
ブザー音がひと際高く鳴り響く。部屋の端から端まで、緊急用のブザーライトに照らされて、真っ赤に染まっていく。
僕はとりあえずイスから立ち上がろうとして、首に通信用のケーブルが繋がったままだったことを思い出し、それが途端に煩わしくなって力任せに引きちぎった。
それからイヤホンも床に放り投げて耳を澄ませると、冷たい空気やけたたましいブザー音ですら心地のいい響きとなって鼓膜を通りぬけて三半規管に、脳内に、身体中に流れていく。感覚が麻痺していく。まるで脳内麻薬だ。
「あれ、いない」
窓際に視線を向けると、そこにはもう誰の姿もなかった。まるで長い長い夢を見ていたようだ。それともこれまで過ごしてきた時間こそが夢のようなもので、今はまだ目を覚ましたばかりなのか。
いつの間にか復活していたコンピータの液晶には数えきれないほどのウイルス反応が感知されていた。手のつけようのないそれをしばらく呆然と眺めていると、画面を埋め尽くしているウインドウの中にひとつだけ、1件のメッセージが表示されていることに気付く。さして長くはない、いくつかの数字とアルファベットの組み合わせ。それがここではない場所を示すものだと分かると、少年の唇には自然と笑みが浮かんでいた。笑ったのなんてどれくらいぶりだろう。そのぎこちなさに口の端が少し痛んだ。
「……今度は会いに来いって?」
音楽、嫌い? それとも――…。
「そんなの分からないよ。まだ」
だってまだ出会ったばかりなんだ。どこか拙い音色も、この胸に刺さったまま抜けない痛みの正体も。それでもまた聴きたいと、その先に続く音色を奏でたいと思ってしまった。
「分からないから、これから確かめにいくよ」
それがここじゃないどこかだって。その音色が指し示す場所へ。
『第一級規制対象の反応を受信しました。ただちに当局の指示に従って事実調査を――』
「新入りか?」
「ええ、まあ。そうみたいです」
あれから第一級規制物である「音楽」に自ら手を出した重犯罪者として――「ハート泥棒」の存在を告げれば疑いはすぐに晴れたのだろうけれど、当局の人間がかけつけて取り調べを受けている間も一度も彼女のことは話さなかった――すべてを奪われ、「完全な世界」を追放された少年は、下層への入り口をくぐり抜けたところでここの住人らしき男に声をかけられた。その男が首元に青いマフラーを巻いているのを見て、ああこっちでは季節によって気候の変化なんてものがまだ存在してるんだな、と肌寒い空気に肩を縮めながら思う。上の世界ではいつだってどこも適温に保たれていたから、季節の変化なんて気にしたこともなかった。ふと見上げた空はすでに群青に染まりつつあり、空の高い場所にはいくつか星が瞬いていた。
「何が出来る?」
そう言って男は値踏みするような瞳を向けてくる。上の世界を追い出された人間が珍しいのだろうか。それとも隙でもあらばまだ何も知らない新入りを騙そうとでもいうのだろうか。もうココロを発信するための装置を外してしまった身には初対面でこんなことを聞いてくる男の真意を探るのは難しい。
「えっ、と…………」
何かを叩き出そうとした指は何もない場所を空回り、まだ接続端子を繋いでいた痕の残る首に手のひらで触れてしまう。それからゆっくりとそこから手を離すと、自分自身で答えを見出すために頭に手を当てる。
もうずっと使っていなかったせいで答えるまでに時間はかかってしまうけれど。ここは何も詰まっていない空っぽの箱なんかじゃないだろう。
「情報処理と工業機器の簡単なプログラミングと修理、あとメンテナンスくらいなら……」
「だったら仕事くらいすぐに見つかるさ。こっちじゃ自分たちで何でもしなくちゃならないかわりに、人材を必要としてる場所は腐るほどある」
まああんたはもうちょっとその口下手をどうにかしたほうがいいけどなあ、と男は気の良さそうな笑みを浮かべて肩を叩いた。
それからこのあたりでは一番安いアパートを紹介してもらって当面の寝床を確保すると、次の日からは仕事を探して朝から晩まで歩き回ることになった。男の言っていたとおり仕事の適性よりも口下手とコミュニケーション能力が著しく欠けているせいで決まるまでに時間はかかったものの、数日後にはなんとか仕事にありつくことが出来た。
そしてようやくここでの暮らしにも慣れてきた頃、ひさしぶりの休日に溜まりに溜まった衣類を洗濯機に放り込んでいると、くしゃくしゃになった一枚のメモ用紙がポケットの中から滑り落ちてきた。そこに記されているのは、さして長くはない数字とアルファベットの組み合わせ。
「……ああ、そうだ」
それは少年が住んでいるアパートの番地からそう遠くはない場所だった。
そこらじゅうにパイプが蔦のように複雑に絡み合っているくすんだ灰色の工場地帯を抜けて、あやしげな店が隙間なくひしめき合っている薄暗い通りを抜けていった先にあるトタン造りの建物。そこに記されている番地が少年が手にしているメモと一致していることを確かめると、今にも外れてしまうんじゃないかというほど錆びた鉄の扉を横に引く。
建物の中には金属製の部品や器具、それからガラスのショーケースの中にこの店の目玉とも言える「商品」が所狭しと並べられていた。どうやら上の世界ではもう製造すらされていないような型の古いロボットやアンドロイドを専門に扱っている店のようだ。少年は視線を滑らせて、まるで引き寄せられるようにして目的のものを探し出す。
「見つけた」
それはショーケースの一番端にある目立たない場所で、それでも誰かを待ち続けているかのように眠っていた。
お兄さんずいぶん古いタイプのボーカロイドを見つけたね、そいつらの名前は――…とカウンターの中から言いかけた店主の声を、「知ってます」と遮った。
「起きて。迎えにきたよ」
そして小さな子供を起こすような穏やかな声で、白い埃をかぶったガラスケースの隅で眠っている少女に声をかける。
「鏡音……リン」
あんな物騒な呼び方なんかじゃなくて、あのときその唇が教えてくれた名前を。
すると少女は螺子を巻かれた人形のように瞼を勢いよく押し上げると、透きとおったガラス球の瞳に少年の姿を映しこみ、そこに光を宿した。
「はじめまして、マスター」
「……ま、マスターとか恥ずかしいから名前でいいよ。僕の名前は教えただろ?」
「じゃあ――…」
少女は別れる際に教えていた名前を口にして、その顔いっぱいに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「これからよろしく、鏡音リン」
「リンでいいよ。あ、あとね……」
少女は――「リン」はほんの少しだけ瞼を伏せたあとで「もう一人いるんだけど、いい?」と、自分の横で目を擦っている少年へと視線を向けながら尋ねてきた。
「もちろん」
今さら一人が二人に増えたところで大した違いがあるわけじゃない。それにこちらを見上げている少年の唇に楽しげな笑みが浮かんでいるのを見ていると、あのとき出会ったのはどちらか一人だけじゃなかったんじゃないかという気がしていた。
どちらにしてもあの日奪われたココロはここにあって、こんなにも広い世界の片隅で終わらない旋律を奏で続ける。
その音がまた誰かのココロを震わせたなら、きっとそこから繋がるハート通信。どんな狭い場所もパッと宇宙に変わる。どこにいても僕らを惹きつけてやまない、一生手放せない宝物を見つけたんだ。
君に心を込めて、ありがとう。
いつもと違う場所で会いましょう。
End.
【引用】ハート通信/ヒーリングP
コメント
つつの
kagaminationを視聴させていただき、最初にビビっと来たのがこちらのハート通信でした。ノリのいい楽曲に合わせて紡がれるリリックが脳髄に染みわたって揺らしていく感覚がまさに楽曲の歌詞通りで大好きな一曲です。
今回書かせていただいたのは解釈小説というよりは楽曲からイメージをいただいて創作した小説という感じですが、この楽曲のようにカガミネ廃になった主人公(マスター)が二人と一緒に自分だけの音を奏でていくのだと妄想しています。
このたびは素敵な楽曲を担当させていただきありがとうございました!!