ココロオト

ココロに宿るオトの名は


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…――――――――――
あぁ、またこの夢だ。
――――「なんだよこれ。全然人間の声に聴こえねーじゃん。」
眠りにつくと幾度となく繰り返されるこの記憶。
――――「なんで二つも声があんだ?男の声いらねーよ。」
忘れてしまいたいのに忘れられない。
――――「いいから俺の言う通りに歌えよ!!」
だって僕達は人間じゃないから。
――――「うわ…気持ち悪い声…。」
人間じゃない僕達には忘れるなんて大層な機能はない。
――――「もっと人間らしく歌えよ!」
吐き出すことも、飲み込むことも出来ないこの声の行く先も見つからないまま。
――――――――――…



また思い出してしまった。思い出したくもない記憶。"忘れる"という機能のない僕達は、データが壊れでもしない限り、どんなに忘れてしまいたい痛い記憶も幾度となく鮮明に甦る。
人間には時間薬なんてものがあるらしいけど、そんなものは僕達には通用しない。人々に忘れられることはあっても、忘れるなんて事はあり得ないのだから。
人間には当然のように備わっている機能…。限りある命、いずれ朽ちる体、自由に歌える喉。
それに反してボーカロイドの僕達に備わった機能は訪れない最期、なくならない体、叫べない喉。
人間を儚いと表現するのなら、僕達はそれとは真逆の存在だ。
ボーカロイド鏡音リン、レンとして生み出された僕達は歌うために作られた。ソフトを買ってインストールするだけという手軽な僕らは、今まで沢山のマスター達のもとを巡ってきた。そして色々な使い方をされてきた。
あるマスターは、僕達が好きなアイドルの声に似ているという理由から僕達をインストールした。そして毎日毎日ひたすら「大好き」だの「愛してる」だの、時には卑猥な言葉も言わされた。
あるマスターはバンドをやっていて彼の横暴さからボーカルに逃げられた。そしてそのボーカルの代わりに僕達を歌わせようとしたけど、なかなか思う通りに歌わせることが出来ないことに苛立ち、散々暴言を浴びせられた。
まぁこんなのは序の口で、口にも出したくないようなことも幾度となくやらされて来た。
そんな僕らはもう自分達自身を必要としてくれるマスターなんていないことを理解していた。必要なのは思い通りになる声だけで、そこに備わった僕達自身なんて誰一人として必要としていなかった。
そして今日もまた新しいマスターにインストールされた。

「ねぇレン。新しいマスターはどんな人かな…?」
パソコンの中のフォルダで待機していると、片割れのリンは不安そうに顔を曇らせた。
「さぁな…。」
きっと今まで出会ってきたマスター達と大差はないのだろう。だけどリンは毎回僕にその質問をした。僕は少しでもリンの不安を掻き消すように、俯くその手をそっと握った。
「リン達のこと…好きになってくれたらいいね。」
俯いたままでいるリンは僕の手をギュッと握り返すと、儚い希望を口にした。
「そうだな…。」
リンだって分かってるんだ。そんなことありはしないって。だけど少しだけ期待してしまうのだろう。僕もその手をギュッと握り返して、その時を待った。
カチッという乾いたクリック音と共に新しいマスターは現れた。
風貌はスラッとした体に小さな顔のまだ若そうな男性だった。僕達は緊張で体が強張り、何も言えずに彼を凝視した。
「やぁ!はじめましてっ!」
すると現れたマスターは、何だか嘘みたいに爽やかな笑顔で僕らに話しかけた。あまりに予想していなかった対応に、僕達はただ目を丸くした。
「リンとレン!これからよろしくな!」
そんな僕らにお構い無しのマスターはニコニコと話を続ける。その爽やかさに調子が狂い、戸惑いが隠せなかったけど、早く挨拶しなくてはと僕は口を開いた。
「こちらこそよろしくお願いします。」
緊張した面持ちのまま、ペコッと頭を下げる。すると隣にいるリンも僕にならってペコリと頭を下げた。
こんな挨拶も僕らは何度したか分からない。そして今まで学んだことは挨拶なんてした所で、マスターと僕達が近付くことなどないということだった。
「あはは!二人ともそんなに緊張するなよ!」
するとこれまたこちらの予想と反して、彼は笑い声を上げた。何故笑うのか驚いて顔を上げると、マスターは少し困ったように笑っていた。そして挨拶もそこそこに彼は口を開いた。
「まず二人に言っておきたいことがあるんだ。」
少しだけ真顔になるマスターに、何を言われるのかと、またしても体が強張る。そんな僕達の返事も待たず、彼は続けた。
「二人にはこれから僕の作る曲を歌ってもらうことになるんだけど、ひとつだけ約束してほしいことがあるんだ。」
約束だなんて今まで言われたことのない僕らは顔を見合わせた。リンの顔には不安が浮かび、きっと僕の顔にもそれは表れていた。マスターの顔には先程までの笑顔はなく、僕達をしっかりと見つめる。
「人間らしく歌おうなんて思わないでほしいんだ。歌詞の意味やメロディーに託したものの意味を二人で考えて、それを歌にしてほしい。」
僕は自分の耳を疑った。今までひたすら人間らしさを求められてきた僕らにはあまりにも衝撃的な言葉だった。そんな僕達の顔を彼は交互に見つめ、落ち着いた柔らかい声で続ける。
「二人にしか歌えない歌を自由に歌ってほしい。オレはね、本当に二人の声が好きなんだ。」
自由に……何を言っているんだろう。心も体も作り物の僕達が、一体何をどう自由に歌えばいいのだろうか。プログラムされた通りにしか音を出せない僕らは不協和音にさえなれはしない。狂いもせずに調律違わぬ音を掻き鳴らすことしか出来ないんだ。
僕らの声は僕らのものじゃない。この思いを口にしたいけど上手く言葉に出来ずに僕は押し黙る。

「二人のココロのオトを聴かせてほしい。」
僕らを見つめる彼の目は真摯で優しくて、とても嘘をついているようには見えなかった。
ずっと僕らの…いや僕の体はある想いに蝕まれ、焼き付くされていた。
それは人間に対する羨望と醜い嫉妬だ。
だけどそんな人間であるマスターが、僕達の声を好きだという…。自由に歌えという…。
そんなことを求められることなんてないと思っていた。求められる希望なんて、とうに捨てていた。
形のないこの体を埋め尽くす想いを吐き出すことなんてないと思っていたのに…。
だけど何だろう。この心に宿る音は…。
ボーカロイドである僕達には心なんてものはないのかもしれない。今、感じているこの気持ちだって所詮作り物のはずなのに…。なのに僕の心の中には、今まで捨ててきた希望の光が見えた気がした。

   * *

それからの毎日は、嘘みたいに楽しいものだった。マスターは得意なピアノを使った曲を作ってくれた。いつ寝てるのかと思うくらいにハイペースで曲を作るものだから、覚えるのが大変だと僕とリンは笑った。
彼の作るメロディーは柔らかくて暖かいものばかりで、紡ぐ言葉は、素直で飾らない彼自身を表すようだった。
そして僕達は曲に込められた想いを自分達なりに理解して、声高く歌い上げてココロのオトを奏でた。

「うわー!もうこんなに沢山の人達が聴いてくれんだね!マスターすごい!!」
マスターの曲は動画サイトにアップすると、どんどんと再生数が伸びるようになっていた。リンはぴょんぴょんと跳ねて、嬉しさを全身で表している。
「オレが凄いんじゃなくて、リンとレンが凄いんだよ!…まぁでもオレも凄いかもな!」
マスターは最初に会った時の印象と何ら変わらなくて、いつでも朗らかに笑う人だった。それはまるで太陽みたいで、冷えきって期待することを忘れた僕の心をゆっくりと溶かしていった。
「おいリン。あんまり褒めると調子に乗るぞ!」
少し笑ってそう言うと、レン酷いーと二人は声を揃えた。そしてマスターと笑い合うリンは本当に楽しそうだった。
リンは今までいつも隣で笑っていてくれたけど、それはどこか無理をしている様であんな笑顔は見たことがない。
そんなリンとマスターを見ていると、今まで感じたことのなかった暖かいものがどんどん心に溢れてきた。今までは理解出来るはずもなかった、明るく幸せな歌詞もいつの間にか分かるようになっていた。
歌う事が楽しいと、そう思えるようになってきていたんだ――


   * *


「マスターどうしちゃったのかな?」
電脳空間に作られた、僕らの部屋にあるソファーに腰をかけたリンは、溜め息まじりにぽろりと声を漏らした。隣に座っていた僕は、その問いに答えられずに俯く。
二人揃って浮かない顔をしているその訳は、毎週のように曲を作り、毎日僕達に顔を見せてくれたマスターがこの二週間現れないからだ。
「はぁ…」
リンはまた溜め息を漏らす。あの楽しくて幸せだった日々がまるで夢だったように遠く感じた。
一体どうしたというのだろうか。最近、マスターの動画は再生数が上がったことで、コメントがたくさんつくようになった。中には叩きのような否定的なコメントもあって。
マスターは気にしてないようだったけど、もしかしたらそれで曲を作る事が嫌になってしまったのだろうか?はたまた現実世界の方で夢中になることがあって、僕達が必要ではなくなってしまったのか…。
考えることしか出来ない僕らには、時間がたつほどに悪いことばかりが過る様になっていた。

カチッ…――。
そんな沈んだ空気の中、クリック音が鳴り響いた。聞き慣れた音の筈なのに、ひどく懐かしく感じて、思わず僕とリンは立ち上がり笑顔が零れた。
真っ白い壁に映し出されたマスターの顔を見ると、今まで放置されていたことなんてどうでもよくなり、僕はいつもの憎まれ口を叩こうとした。
「…二人ともごめんな。ずっと来られなくて。」
そんな僕より先にマスターが口を開いた。
僕達の顔を見るなりそう言う彼の顔は、笑っているけれど力がなく、なんだか違和感を感じた。その理由を探ろうとブルーライトに照らされたマスターの顔をまじまじと見る。その顔には血色が感じられず、もともと小さかった顔はやつれたようにも見えた。
「マスター…なんかあったのか?」
その異変に思わず僕は問いかけた。リンも彼の異変に気付いたのか、心配そうに眉毛を下げる。そんな僕達の様子に気付いたマスターはいつものようにニカッと笑ってみせた。
「…あのな、二人には悪いんだけど、もうオレは曲を作ることが出来ないんだ。」
あまりに予想していなかった発言に、僕達は言葉を失う。心臓なんてないはずの胸に、じわりと重い痛みを感じた。
「二人のことはオレの音楽やってる友達に頼むことにしたから…。そいつ、すごいイイ奴で、曲も作ってるからさ…。」
何も言えない僕らをおいてけぼりにして、まるでいつものように笑うマスター。
その顔には言い様のない陰りを感じた。何か言いたいのに、想いが喉につまり言葉にならない。
「なんで…なんでなの!?マスター!!もうリン達のこと嫌になっちゃったの!?」
すると、今まで黙っていたリンが抑えきれないとばかりに声を上げた。
「本当はもう飽きちゃったの!?リンは…リン達はね、本当に楽しかったんだよ…?マスターのこと…信じてたのに、酷い!酷いよマスター!!」
僕も同じ気持ちだった。裏切るくらいなら、期待なんかさせないで欲しかった。怒りと哀しみが混ざり合った感情がふつふつと沸き上がり、胸の痛みはどんどん増していく。
そんな僕達の方を見ることもせず、マスターはただ俯いていた。その肩は小さく震えているようにも見える。暫くの沈黙が続くとマスターは顔を上げた。

「…オレは…あと3ヶ月の命なんだってさ…。」

ポツリと溢された言葉に、耳を疑う。
「…何をやっても助からないんだ。わかるか?オレは死ぬんだ!」
僕達の顔を正面から見つめ、悲痛そうな表情で叫ぶ様に言葉を吐き出す。
その突然すぎる告白に、さっきまで捲し立てていた僕達は何も言えくなった。ぐるぐると視界が回っているようで、立っているのさえ辛い。
「お前達はいいよな…死ぬなんてことないもんな…」
呟く様にマスターは続けた。だけど僕らはまだ言葉を見付けられずに押し黙ったまま、ただ彼を見つめる事しか出来なかった。
「…死ぬことのないお前達には、オレの気持ちなんてわからない…。」
そう言うと彼は立ち上がり、電源を切って僕らとの繋がりを遮断した。

――目の前が真っ暗になった。
太陽の様な彼に見捨てられた僕達は、光を失って動く事も出来ない。隣にいたリンに視線を移すと、まるで感情が無くなってしまった様に立ち尽くしていた。
きっと僕もこんな顔をしているのだろう。
そのまま動くことさえ出来ずに、二人でただ立ち尽くした。

確かに僕達に死は訪れない。だからマスターの気持ちは、人間ではない僕らにはきっと分からない。
でも人間であるマスターは、ボーカロイドである僕らにたくさんのことを教えてくれた。僕達自身で奏でている心の音があるのだと気付かせてくれた。
自由に歌うことを許してくれた。人間に憧れていた僕らに、そのままでいいんだと教えてくれた。
たくさんの幸せを教えてくれた。
――そんなマスターが死んでしまう。
それは、彼のあの暖かい笑顔が見られなくなる…、もう会えなくなるんだ。
僕らがこのままただ立ち呆けて、心を閉ざしてしまえば僕らの中に芽生えた感情すら消えてしまう。
マスターがもうここには、現れなくっても…伝えるべき音はまだここにある。

ふと視線を移すと、さっきまで感情が無くなっていた様な顔をしていたリンの瞳に、力が籠っていた。
言葉が無くても、同じ感情なのだと分かる。
マスターの為に、この音を歌に変えて伝えたい。
たとえ彼の気持ちを分からないとしても、それがボーカロイドである僕達が唯一出来ることなのだから――。

それから僕達は歌い続けた。
一日中休むこともせず、毎日毎日歌い続けた。
あるいは僕らが人間だったのなら他にも方法があるのだろう…。だけど疲れや痛みを感じることのない僕達は、歌い続けた。
だってこうすること以外に伝える術を持たないから。
歌って歌って歌い続けて――。
それは誰かが聞けば、まるで叫びの様にも思えるだろう。
それでもとにかく只ひたすらに声を上げてきた。
気が付くとマスターの告白を聞いたあの日からずいぶんと時は経っていた。もしかしたらマスターはもう……。そんな嫌な考えが頭に過ったけど、僕らは壊れた様に…だけど高らかに歌い続けた。

ずっと互いの声以外聞こえなかった電脳空間に――カチッという懐かしい音が響く。

暗闇に染まったモニターの向こうに光が照らされ、そこにマスターの姿が映し出される。
そこには、以前とは別人のように痩せ細った彼が佇んでいた。
狂ったように奏でてきた僕らの歌は同時にピタッと止まり、現れた待ち人に笑顔を送った。
するとマスターは僕達の様子を見ると、顔色を変え、急いでカチカチと何かを確認している。
「もしかして…あれから、ずっと歌ってたのか…?」
彼は驚いた様に僕らの顔を交互に見つめた。
「だって、僕…達に、は歌うことしか出、来ないから。」
ずっと休むこともせずに歌ってきたせいか、言葉が上手く発せられない。絞り出す様にそう言えば、彼の瞳は揺れ涙が零れ落ちた。
「ごめん…ごめんな…。オレはなんて酷いことを…。お前達がこんなになるまで…。」
マスターも言葉を上手く発せられないようだった。そして僕達は彼に一番伝えたかったことを届けた。
「マ、スター…あり、がとう…」
それは内側から込み上げてくるような言葉だった。
それに応える様に、俯いていた彼はパッと顔を上げる。

――そこには僕らの大好きなあの笑顔があった。

それにつられて、僕達も笑う。
そして僕達はまた歌い出した。マスターが僕らの為に作ってくれた初めての曲を。彼は目を瞑って心地よさそうに僕らの声に耳を傾けた。
そして彼が作ってくれた最後の歌を歌う頃――彼は動かなくなった。
歌っている自分達の声が震えているのが分かった。
すると視界が歪み頬に暖かい何かが伝った。
それを拭うこともせずに、僕らは歌った。
遠くに行ってしまうマスターが寂しくないように。
涙なんて僕らに流れるはずなんてないのに。痛いなんて感覚はないはずなのに…
心も喉も擦りきれる様に痛い。
僕らの叫べない喉は、決して枯れることなんてないから。
痛みをこらえて声を上げよう。
消えることのないココロオトがいつの日かまた誰かに届くと信じて、歌い続けよう。

今はただ旅立つあなたの為に――



コメント

椿 椿

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!
これは本当にココロオトの解釈文になっているのか?と不安になりながらも、なんとか書き上げました!
ボーカロイドである鏡音の悲痛な叫びと、激しいピアノの旋律がたまらなく好きです!
書かせていただけて、本当にありがとうございました!

そして私はこのkagaminationLOVERの協賛という形で参加させていただきました!
協賛とは名ばかりで、主催である橙さんには迷惑ばかりかけてしまってました(´;ω;`)
私のした仕事といえば、ほんの少しの編集作業と、(橙への)お茶汲みと、(橙への)甘いものの差し入れと、橙の愚痴を聞いて励ますことと、編集作業に追われて買い物にも行けない橙の代わりに買い物をしたことくらいですw
橙さん、本当にお疲れ様でした!!
そしてあのアイコン集合画を見たときには、こんなに沢山の鏡音廃の皆さんがひとつの企画の為に集まったことへの喜びと、それに参加出来た喜びでいっぱいになりました!!
やっぱりkagaminationはすごいっ!!
そして愛される鏡音と、鏡音を愛する皆さんを愛してます!!

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