カンジョウ七号線

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ドアが開くと同時に溢れ出しそうな、気が引けるほどの人ごみ。四角に切り取られた箱でおしくらまんじゅうをしているような人々の隙間へ、器用にするりと体を滑り込ませていく乗客。背の高い群集に紛れて、小さな背が流されるように電車に乗り込むのを僕は見逃さなかった。
見失うまいと駆け足で人波に飛び込む。背に抱えたギターのことが二つの意味で心配だったが、迷っている暇もない。何とか身を落ち着かせた一人分以下の空間で安堵する間もなく、電車は気だるげに走り出した。よくもまあ、これだけの人数を腹の中に入れて走れるものだ。こんなにも努力家だというのに、時に全てを投げ出すための道具として使われ、悲惨なニュースばかりを流されて何て不憫なんだろう。……なんて考えすぎだろうか。

視線だけ動かして彼女の姿を探すが、生憎僕も彼女も周囲の大人に比べ背が低い。自分の周りを壁に取り囲まれたようなものだ。似たようなスーツ姿が立ち並ぶ中に紺色のセーラーが紛れていないか、背伸びで目を凝らす。
――と、ふいに肩からどんと振動が伝わってくる。カーブに差し掛かる際、力の通りに傾いた体が、隣の人に体重を預ける形になってしまったのだ。

「あ、すみません」

相手を見上げ早口で謝罪を述べると、鋭い視線が見下すように僕を刺した。フンと鼻を鳴らして目をそらす様を見届けて、足下へと視線を落とす。気が立ってるな、と密かにため息をついた。よくあることだ。今更気にしたりはしない。こんな不況真っ只中の国だ、僕の想像以上に大人は多忙なのだろう。ピリピリするのもきっと仕方がないことなのだ。だからといって僕もいい気はしないから、次のカーブでは体が持って行かれないよう両足に力を込めた。
一駅過ぎたところでもう一度彼女を探そうと顔を上げる。すると、ぶつかった訳でも触れている訳でもない人間の怪訝な眼差しと目があった。その目が訴えかける感情を何となく悟り、思わず顔をしかめる。視線から逃れるようにギターケースを抱えなおした。
僕の心配事、一つ目。ギターが周囲の人にぶつかってしまったらということ。二つ目。『ここにある』というだけで、いかにも迷惑そうにされたらということ。見事に後者が的中してしまった。確かに、蟻の這い出る隙もないようなこの空間で、余計にスペースをとられては迷惑かもしれない。
でも僕にとって、これが無ければ今ここにいる意味も無いのだ。わざわざ人ごみをわけて息を殺すような集団に紛れる必要も無い。他人からしたら余計な物だったとして、僕からしたら必要不可欠な物だ。
迷惑なのは重々承知しているし、できることならば僕だって気が滅入るばかりのこの場所を利用したくもなかった。何よりこれは不要品ではない。だから、と言うと言い訳がましいが、こればかりは許してほしかった。本来ならば誰に許しを得る必要もないはずなのだけど。

次の駅が近づいて、ゆっくりとスピードが落とされる。ホームには人が溢れかえっていて、ここで降りられることに安堵して肩を撫で下ろした。これ以上乗客が増えてはたまったもんじゃない。結局のところ彼女は見つけられなかったが、どうせ行き先は同じだ。
吐き出されるようにホームに出る。振り返ると、降りた人数の倍ほどの人間が電車の中へと飲み込まれていて、再度肩を撫で下ろした。
スーツ姿の大人たちが早足でせわしなく階段を上っていく。仕事帰りなのか、或いは今から仕事なのか。どちらともつかない人々の間をくぐり抜けて、僕もゆっくりと階段を上った。
結構な人数が行き来しているわりに、誰も誰を見るでもなく気にするわけでもなく、ただ触れないようにすれすれで互いの肩を避けている。前を向いているはずなのに目が合うことも殆どない。すれ違う人を、他人とすら認識してないように思えた。冷え始めた空気と同じ無機質で冷めた空間。居心地がいいとは到底言えない。何もここに限った話ではないけれど。




外に出ると、探していた紺色のセーラー服の少女が少し離れたところを歩いていた。このままの距離を保つように、彼女の歩くペースに合わせて僕も足を進める。
既に日は落ちていたが、街には煌びやかな明かりが灯っており、巨大なモニターからは今週のヒットチャートが大音量で流れていた。それを見上げてけらけらと笑い声を上げる制服を着崩した女子高生たち。何やら話し声が聞こえたが、同じ日本語のはずなのに意味のわからない言葉の羅列に、ふっと息を吐いた。とりあえず理解できたのは、恐らく汚い言葉であったこと。何かを馬鹿にしたような、蔑んだ笑い方であったことだ。
彼女らと同じ女子高生である紺色セーラーの少女は、モニターに目をくれることもなく真っ直ぐに道を行く。僕もまたその後を追うようにして歩いた。
視線を動かさずとも、この大きな道は、歩いているだけでたくさんの情報が次から次へと飛び込んでくる。せかせかと急ぎ足で道を行くサラリーマン。よくわからない店の呼び込みをしている女性。街の小さな隙間でカツアゲらしき行為を行う、外見からして正に『それらしい』集団。それを横目に、カツアゲされている人間の外見を笑う、髪色の派手な女グループ。見て見ぬ振りをする通行人。あまり良い光景が頭に残らないのは、そもそもここに良い光景なんて無いからだろうか。気づいていながら行動に移さない僕も僕だが、この街中で『普通』とされている以外の行動をとるのはタブーだ。理由は簡単、異常者にならないため。
不満を感じて、胸にたまって行くばかりの鉛に気分を悪くしていながら、周囲と合わせなければうまくやっていけない。そんな世の中だ。この街も、学校も。恐らくは会社も、だろうか。僕にはまだそれはわからない。
ただ、だからといって常に流されるままでいるのは僕には耐え難いものだった。だから――
まずはあの少女を、取り戻したい。






しばらく歩いていると、次第に景色を彩る明かりの数は減っていった。うるさいほどの賑やかな音も既にずっと後ろから聞こえている。暗い道には僕と彼女の足音だけが響いていた。今の御世代、この行動はストーカーとして通報されてしまいそうだ。後をつけるという行動をとっているが、僕が故意にそうしているわけではない。目的地への道のりが彼女と同じという、ただそれだけのことだ。

……もうすぐかな。
分かれ道に差し掛かると、彼女は右の道へ方向を変えようとする。今だ。

「リン!」

名前を呼ぶと同時に駆け寄り、肩を掴んで振り返らせる。きょとんと見開かれた彼女の目と視線が交わった。ガラス玉のように沈んだ瞳は僕の姿を捉えているのか、何を考えているのかもわからない。
二、三度まばたきをしてようやく状況を理解したらしい彼女は、口元に緩い弧を描き、ただでさえ暗い目に更に影を落として口を開いた。
「鏡音くん。何か用?」
――鏡音くん、だなんて随分他人行儀になったものだ。幼い頃は出会い頭に呼び捨てしてきた癖に。
微笑んでいるつもりなのだろうけど、彼女の顔は笑ってなんかいなかった。僕なんかには興味ないとでも言うように感情のない声で返事をする。まるで抜け殻みたいだ。

「ちょっと来て」

強引に腕を引いて、彼女の向かおうとしていた先とは反対の道へと歩く。リンは眉を潜めたものの抵抗はしなかった。大人しくなったものだ。
しばらくの沈黙。特に話すために彼女を追っていたわけではないし、僕としてはこのまま無言で歩いてもいいのだけれど。何でも聞いた話では、女の子は会話をしてこそ当たり前……らしいため、何か話題はないかと必死に脳をフル回転させる。
どうせなら、彼女がいかにこの時代に馴染んでしまったかわかるような質問でもしてみようか。

「……なぁ。音楽好き?」
「どちらかというと好きかな。多分。あ、それギター? 弾けるんだ。凄いね」
「俺のじゃなくて、友達のだけどね」

曖昧な答え。返事もしていないのに、持っているとだけで弾けると認識されたギター。典型的な話を合わせるタイプだ。まあまあ随分と時代の波に飲み込まれてしまって。弾けるもなにも、僕にギターを教えたのはお前だろう。このギターを僕に貸して、それっきり楽器を持っていたことすら忘れているのもお前だ。
リンらしくない。個性なんてものはもう、彼女の中には何一つ残っていないようだ。周りと同じであることこそ当たり前のこの空気に、幼馴染である彼女は蝋人形のようにされてしまった。音楽の話をする度に僕の知らない名前を次々と挙げ、楽しそうに語らいながらギターを教えてくれた君はどこに消えた?
校則違反の短さまで曲げたスカートも、覚束ない足取りにさせる高いヒールのローファーも彼女には似合わない。取って付けたような『現代風』が、彼女との間でゴースト現象のように揺れていた。






「……? 何、あれ」
「路上ライブ」

街とはまた別の賑わい方をしているその場所を、リンは不思議そうに見渡していた。人はそこそこ集まっているようだ。まだ準備中のところが多いらしく、メロディーを奏でるわけでない音があちこちから聞こえてくる。ベースのチューニングをしている人と目が合うと、ニッと爽やかな笑みを浮かべてくれた。僕も同様に笑い返す。彼とは、今日が初対面だ。
ここにくると、今まで大人しい仮面を付けていたのが嘘のように気持ちが高ぶる。僕がここを知った切欠は音楽で、音楽を知った切欠はリンで。本来ならば、彼女もここにいるべきだったのだと、僕は思う。

「よーレン。やっと来たか」
「よっミクオ。悪いな、遅れた」
「おっせぇよバーカ」

既に準備万端といった感じのミクオがベースを片手に歩み寄ってくる。僕の後ろに半分隠れるようなリンを一瞥して、悟るようにミクオは薄く笑った。彼女の腕をひいて、ミクオと共にいつも一緒に弾いているメンバーの元へと駆け寄る。皆もミクオと同じようにリンをチラリと見て、僕に向かってうっすらと笑みを浮かべた。

「あれ、誰?」
「ミクオ。俺の知り合いっていうか一緒にバンドやってる」
「へぇ、バンドやってるんだ」

あくまで興味なさげな声色。ここまで重傷とは、少し厄介かもしれない。ここに来れば少し位は興味を示してくれると思っていたのだが。
まあいけるだろう。彼女の中に、リンがまだ残っているのならば。
腐れたこの時代で生きていくのは彼女も僕も、このメンバーも、先ほど街や電車で見かけた人々も同じだ。ただ、できることならば無機質に残酷に、他人に無関心なまま一生を終えるような人生を僕は送って欲しくない。無自覚なだけできっと、僕と同様に不満を募らせている人はそこらに溢れているのだと思う。
ならばせめて身近な人くらい、目を覚まさせることができるのではないか?
正義気取りだと笑われそうだが、それでも構わなかった。同じような人しかいない、皆が皆クローンのようになってしまったとしたらそれこそ退屈で気持ち悪い。
ケースから楽器を取り出して音を調節していると、リンは後ろから僕の手元を覗き込んできた。興味があるのか、それともあるように見せているだけなのか。顔を見ていないからわからない。今はそんなことよりも、早く準備を終えなければ。

「ねぇ、何するの?」
「見ての通りだよ」
「弾くんだ」
「そういうこと。見といてな」
「何でつれてきたの? 私のこと」
「いいから、黙って聴いてて」

チューニングを終えて仲間と顔を見合わせる。口元だけで笑い、無言で頷いた。
再度リンと向き合って、不思議そうにしている彼女の頭をぽんと撫でてやる。もう一度、聴いてろよ、と小声で呟いた。

「よっしゃ。行くぜ皆!!」

始めてここに来たときの言いようのない感動。興味はあったとはいえ深入りするつもりはなかった僕をここまで音の世界へ引き込んだこの場所ならば、僕以上に音楽を愛していた彼女の心を震わすことができるのではないか? 僕の持ちかけた話を、仲間たちは皆快く引き受けてくれた。これは、音楽を愛する人のため――そして、彼女のための歌。
ふいに僕を見据える彼女と目があった。ガラス玉のようだった瞳は初めて僕を映し、幼い頃を思わせる光が微かに点っているように見える。
音楽が好きだった彼女の心へ訴え掛けるための歌を、奏でる準備はできた。深く深く息を吸う。




――今、君の感情を取り戻す歌を



コメント

怜鈴 怜鈴
何というか、現状って正にこんな感じなんだろうな、と思いました。
私は小さい頃しか東京に行ったことがなくて、それも殆ど記憶に残っていないので、もしかすると見当違いな街の風景になってしまっているかもしれませんが…大目に見ていただけると幸いです。
電車も路上ライブも数える程しか見たことがないのでその辺も大目に見てください…笑

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