ゆらぎの宇宙、恋と未来

宇宙の片隅にいる君へ


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誰かが想像する分だけ、宇宙には線が出来て無数に伸びる。

誰かが選択する分だけ、線は枝分かれして新たな宇宙が広がる。

だけど人はその中の一つの線の上でしか生きる事は出来ず、一度選んだ線を後戻りは出来ない。

だけど、まるで分かれ道を引き返すみたく簡単に行き来出来る力があるのなら…あなたはどうする?





秋の木漏れ日が降り注いで、固く閉じられた目蓋の中を白く染める。
重い目蓋を開いた時、まるで深い眠りから覚めた様に突然――私は『ワタシ』を理解した。

理解というのは少し違う…思い出すとか、目覚めるとか…そんな曖昧な言葉の方が合っている気がする。
この世界の私は、今この瞬間まで普通の人間として生きてきた。
それは宇宙に無数に広がる、平行世界の一本の線の中の私だ。
だけど『ワタシ』が、違う宇宙から渡ってくると、突然こんな風に私は自分の特殊な能力に目覚める。それと共に、『ワタシ』が渡ってきた宇宙の記憶が私の中にも蘇る。
私は私であって『ワタシ』でもあるのだから。

つまり分かりやすく言うのなら、私には平行世界を自由に渡る力があるという事。

色付いた樹木に囲まれた公園のベンチに座って、暖かい日差しと少し冷たい風が心地好くて息を吸い込む。
私はとてものんびりと育ち、これといった取り柄も無いけれどとても幸せに生きてきた。
そんな私に突然の理解は、夢のまどろみと現実の境が分からない感覚に似ている。情報量が多くて少しふらつく体を、ベンチの背もたれに預けてそのまま上を向いて目を閉じた。
瞳を閉じれば暗闇の中にチカチカと、眩い光が瞬いている。その光は私が渡ってきた線の上の、枝分かれした点なのかもしれない。
そんな事をただただぼんやりと考えていた――

「そんな所に寝てたら風邪引くよ?」

その暗闇の中、突然届いた声は私にとって初めて聞いた声だけど、『ワタシ』にはよく聞き馴染んだ声。
ゆっくりと目蓋を開くと、キャスケットの鍔の向こう側に一人の少年の姿があった。木漏れ日を浴びて銀杏の葉と同じ色をしている髪を、無理矢理に結び付けた少年は私の顔を覗きこんで微笑んでいた。
まだうまく機能しない脳を起こす為、まばたきを何度かする。そんな私を見て、彼は眉を上げて首を傾げる。
「突然、声掛けてごめん!えっと…はじめまして!」
反応が遅い私に少し戸惑いながら、はにかむ彼は『ワタシ』にとって何度目かのその台詞を口にした。もうこんな同じやり取りには、正直飽きてしまった。
「この広い宇宙の中で、私と君が初めて会っただなんてどうしてそう言えるの?」
彼の顔を見上げながら、真っ直ぐに目を見て問い掛ける。
彼があまりに屈託なくそう言うから、何となく意地悪を言ってみたかったんだ。すると彼は驚いた様に、目を真ん丸くして見せた。
「成る程…確かに君の言う通りだね。」
おどける訳でもなく、茶化す訳でもなくいたく真剣に答える彼の反応に私の方が驚いた。そして少し考えた後に、気を取り直した様にもう一度口を開く。
「じゃあ、また会えたね!…かな?」
まるでお日様みたいな満面の笑顔でそんな事を言うものだから、私は可笑しくなってつい顔が緩む。
「あはは!君って面白い人ね!」
「あっ!ちょっと何で笑うんだよ!」
前屈みになって両手で口を覆って笑う私に、彼は不満そうな声を上げた。
「だって、そんな風に返してくれるだなんて思わなかったから!」
ベンチの背もたれに両肘をついて身を乗り出しながら、彼はキョトンと首を傾げる。
「えーどうして?君の言う様に、宇宙のどこかで僕らが会ってる可能性は確かにあるだろ?」
彼は今までの世界で会ったどんな『彼』よりも、とても少年らしくて感情の起伏が読み取りやすくてなんだか面白い。
「そうだね!私もそう思う!」
彼の表情に釣られて私も笑顔でそう返すと、彼は少し気恥ずかしそうに眉を下げてヘラッと顔を緩める。何だか和やかな空気がそこには流れて、木漏れ日の温かさみたいに心地が良い。
「宇宙の話が好きなの?」
「うん!相対性理論とか平行世界とか、未知のモノを考えるだけでワクワクして来ない?」
少し興奮気味に、両手を握りながら空を見上げる瞳は輝いて見える。
「へー…哲学的なんだね。」
「あははー、いや本当は難しい事はよく分からないんだけどね?」
頭に片手を当てて力の抜けた声を出すので、私はクスクスと笑ってしまった。
「あ!僕はレンって言うんだ…あっ…」
彼は何かを言いかけてその口を自分で塞ぐと、小さくうなり声を上げて何かを考え出す。どうしたのだろうと、私は首を少し傾げてその顔を覗きこんだ。
「あー…はじめましてじゃないのにこんな事を聞くのはおかしいよね…」
また真面目な顔で困った様に思考を巡らす姿に、少し意地悪してしまった事を申し訳なく思ってしまった。
だから私は目を細めて、少し芝居かかった口調で告げる。
「じゃあ、もう絶対忘れないでね!私の名前はリンだよ。レンくん!」
人差し指を立ててまるで念を押すようにそう言えば、彼は嬉しそうに声を上げて笑う。
「あはは!うん、もう忘れないよリンちゃん!僕の事は、レンでいいよ。」
「じゃあ、私の事もリンって呼んでね!」
改めてそんな自己紹介をする事が可笑しくて、顔を見合わせて笑った。
「リンはここら辺の子じゃないよね?」
「うん。隣町だよ。」
レンは私の横へと移動して、二人で並んでベンチに腰を掛けると今更になってやっとお互いの話を始めた。
「ママがお友達と遊ぶからついてきたんだけど、退屈でぶらぶらしてたの。」
「そうだったのかー。」
大袈裟なくらい頷いて、私の話を聞いてくれる彼に今度は私が問い掛けた。
「レンはこの公園によく来るの?」
「うん!そこの幼稚園に弟が通ってるから、そのお迎えに来るんだ。」
彼が指差す方向には、小さな遊具のある可愛らしい幼稚園があった。滑り台や砂場ではしゃく子供たちの声が、耳を澄ますと聞こえてくる。
「迎えに来ても、まだ遊びたいって待たされるんだけど…そろそろ…」
そう言いながら、レンが公園の時計を見上げたのとほぼ同時に甲高い声が響く。
「おにーちゃーん!!」
声の方に目を向けると、幼稚園の門から小さな男の子が大きくこちらに手を振って一生懸命走って来るのが見えた。
「リュウト走るなー!」
その男の子に向かって、レンが口に手を添えながら声を上げた。けれど男の子は構わずに走って、彼の足元に抱き付く。
リュウトくんは、レンの足に抱き付きながら知らない私の姿をチラチラ覗き見ていた。確かいつかの世界で、私の弟だった事もある子だと少し懐かしく思う。
「こんにちは。」
「こんにちはー…」
小さいながら返事をくれたけれど、人見知りなのかすぐにレンの足に隠れてしまう。
「おにいちゃん、おなかすいたー!」
「おー!じゃあ帰んなきゃなー…」
とても優しい口調でそう答えながら、彼は最後の音を濁して私へと視線を移す。
「僕、平日は毎日ここにいるんだけど…リンはまたここに来る?」
少し不安げなその問いに、私は大きく頷く。
「うん!またここで会おう!」
私の返答に彼は安心した様にまた笑顔に戻ると、リュウトくんに引っ張られる様に帰路へと歩を進めた。何度も振り返って、体全体で手を振る彼を見送る胸の内はとても穏やかであたたかい。
どんな宇宙にもいるけれど、どの世界にもいない…そんなレンと過ごす時間を私はとても楽しみで仕方無かった。
冗談でも忘れないでなんて、自分から発せられた一言に少しだけ驚いた。

だってそんな言葉が無意味になると、誰より知っているから――




それから私たちはあの公園のベンチで、二人で会う様になった。
ママの付き合いで来ていたこの町は、私にとって今まで退屈でしか無かったけれど、今となれば私から催促してしまう程に彼に会う時間が楽しみでならなかった。
レンは『もしも』のお話がとても好きで、二人で色んな『もしも』を考えてはそんな空想の話をした。
特に平行世界の自分ではない自分の話しに、彼は特に興味を持って時間を忘れるくらい盛り上がる。
だから私は今まで巡った宇宙の事を、まるで物語の一説を語るみたいに彼に問い掛ける様になった。

「もしもレンがとてもクールで現実主義者な男の子だとして…」
「うわー…僕とは正反対だ」
レンは顔をしかめながら、そんな自分を必死に想像するように空を睨む。彼を横目で見ながら、私は言葉を続けた。
「例えば私が霊が見える不思議な女の子だったら、レンはどうすると思う?」
「えー霊が見えるの!?…うーん…どうするのかなー」
腕を組んでぶつぶつと呟きながら真剣に悩む彼の回答を、私は子供みたいに期待して待つ。数分考えた彼は、これだといいながら人差し指を立てて私の瞳を見た。
「君の話しに興味は無いとか言って、最初は格好つけるんだよ!」
「うんうん、それで?」
「だけど、やっぱり君の話が気になって気になって仕方無くて格好つけていられなくなるんだ…」
だって僕なんだし!と付け加えながら無邪気な笑顔を溢すので、私もつられて目を細める。
それは私にとって見て来た過去でも、レンにとってはただのお伽噺。だけど彼が語る事で、そこにはまた新たな宇宙が生まれる。
私には見られない彼の中にある宇宙は、何だかとても居心地がいい。
そんな話を繰り返す内に、ふと彼に問われた。
「リンの話しは面白いけど、どうして続きがないの?」
「続き?」
彼が何を言いたいのか分からず、私は首を傾げる。
「うん。例えば…違う宇宙の僕とリンが出会って言葉を交わした…、それでリンの話しは終わるだろ?」
確かに彼の言う通り、私の話しはそこで終わる。
「その先の未来の『もしも』は聞かないよね。」
問われて私は少し考える。未来だなんて言われても、私が話す事は経験して見て来た事だけだもの。私が渡った後の宇宙の話なんて、知らないのに話す事なんて出来ない。
「でも物語ってそういうものでしょ?最高潮で幕が閉じるから、後味がいいと思うの。」
映画や漫画みたいに、最終的に主人公とヒロインが結ばれてハッピーエンド。それでいいんじゃないかな?そんな返答にレンは満足出来ないと言いたげに、難しい顔をする。
「そうかなー?僕はその先も考えてみたいけどなー!」
「その先…?」
「うん!そしたら物語は、ずっと終わらないだろ!」
そんな事を、私は考えもしなかった…。
私は私の見てきた世界しか知らない、私がいなくなったその宇宙がどうなったかだなんて分からない。選ばなかった未来が、例えば希望に満ちていたとしてもそれが続くなんて思えない。
終わりがない未来は無いもの。
だけど色んな宇宙を知っている私よりも、一本の線を進む君の歩くその世界は何だかひどく光輝いて見えた。
それならもしも…
「もしもレンが…無数に広がる平行世界を、行き来出来る力があったならどうする…?」
溢れ落ちたのは、単純な好奇心と何かしらの期待。君ならどんな道を選ぶのだろうと、どうしてか聞いてみたくなったんだ。
「それは凄い力だね!」
レンはそれに目を輝かせて、明瞭な声を上げた。彼らしい反応に少し安心したすぐ後に、少し間を空けて彼は首を捻る。
「だけど、僕には荷が重すぎる気がするなー。」
「えっ…?」
予想外の反応に、私は戸惑いが隠せず声を漏らす。不思議そうにレンの顔を見れば、彼はまた難しい顔をして空を仰ぐ。
「だって、それは今いる世界に別れを告げなければいけないんだろ?」
心臓が少し鼓動を早くした。
「例えば渡った世界で君と出会っても、もう僕を知らない君に会うんだと思うと何だか寂しいな…」
眉を下げて苦笑いをする彼の表情に、胸が締め付けられる。
寂しいだなんて…そんな感覚を、私は考えた事も無かった。
私が宇宙を巡るのは、無制限にある選択肢への好奇心。ハッピーエンドを向かえた世界のその後を見るよりも、他の選択肢のエンドロールを見たくなる…。
そうやって何度も何度も巡って、色んな世界を見る事が私の生き方なのだ。だから寂しい訳がない…。
そう思うのに、どうしてこんなにも胸が痛むんだろう。苦しいんだろう?
「リン!?どうしたの?」
「えっ…?」
突然驚いた様に声を上げたレンを見て、私は自分に起こった異変にやっと気が付いた。
視界が滲んでいる。涙が勝手に頬をつたっていた。
「あれ…あれ?」
ポロポロと溢れ落ちる涙が、どうして流れているか分からなくて私は戸惑う。止めようとしても、込み上げてくる感情が抑えきれなくて私は両手で顔を覆った。
「リン?大丈夫!?僕、何か気に障るような事言った?」
心配する彼の言葉に、頭を振って否定する。声を出したら、嗚咽が出てしまいそうで…。
込み上げてくるのは知りたくなかった、忘れたかった…忘れてしまっていた感情。
宇宙を巡って色んな記憶や情報量を持つ『ワタシ』は、人間としてどこか欠乏しているのかもしれない。簡単な感情で左右される人間の生き方を、まるでどこか他人事の様に思いながら優位に立ったようなつもりになっていた。
だからそんな単純な感情さえも、忘れてしまっていたんだ。
――寂しいなんて…思いを。
忘れてしまわなければいけないの…だって人間の感情ひとつで、宇宙は簡単に揺らいで未来は変わるから。
本当は…私はその先を見る事が怖くてたまらないんだ。
寂しいなんて感じてしまえば、渡るのが怖くなる。だけどこの力を持つ私には、渡らない事もまた恐怖で…。
ああ、どうして…こんな感情に気付いてしまったの?
どうして…あんな質問をしてしまったんだろう?
ほんの少しの後悔と、大きな感情の波に合わせ――突然、キーン…と耳鳴りがした。
心臓が大きく鳴り響いて、反射的に顔を上げた私がレンを捕らえた瞬間…

――ぐにゃりと視界が揺らぐ。

「リン…?」
レンが心配そうに私の顔を覗きこむと、そこには既に変わらぬ風景が広がっていた。
だけどほんの一瞬の小さな揺らぎに、私は息を飲んだ。

ああ…私はまた選んでしまったんだ。

何も答えない私に戸惑うレンが、私に何かを言おうとした時…
「おにーちゃーん!」
遠くから甲高い声が響き、反射的に私達はそちらへと顔を向ける。リュウトくんはいつものように大きく手を振りながら、元気いっぱいにこちらへと走って来ていた。だけどリュウトくんは、私の顔を見るなり急にレンの足に隠れてしまう。
「どうしたリュウト?」
初めの頃こそ人見知りで、うまく接してくれなかったけれど最近は仲良くなれていた。だからこそ、その反応にレンはとても戸惑っていた。
そんな彼にリュウトくんは、おずおずと聞く。

「お兄ちゃん、この人だぁれ?」

心臓がまたひとつ大きく鳴り響く。
「え…?な、何言ってるんだよリュウト。リンだろ?」
レンが困惑しながらリュウトくんに問うが、分からないと言いたげに少年は首を捻る。
ドクン…ドクン…と慌ただしく鼓動が動いて、私は胸元を握り締めて立ち上がった。
「ごめんなさいレン…私、今日は帰るね!」
「えっ…ちょっとリン…!」
彼の静止を背中に受けながら、私は振り返りもせずに走り出した。

ああ…始まってしまった。知らぬ間に私はまた選択してしまったんだ…。

――この宇宙をやめることを。



木漏れ日がいつもの様に公園を包み込んで、吹き抜ける風は前よりずっと冷たくなった。
綺麗に染まっていた木の葉達も、気付けば色褪せてセピアに視界を染める。
思い出が過去に変わっていく…この世界から立ち去る私には、なんて情緒的なのか…皮肉で笑みが溢れた。
「リン!!」
遠くから響くもう『私』にも聞き馴染んだその声を、息を吸い込んで受け止める。
私の姿を見るなり、駆け出した彼の足音がすぐ近くまで聞こえて私はゆっくりと振り返った。
「良かった!もう来ないかと思った…!」
肩で息をして、苦しそうな表情を浮かべるレンを私はただジッと見つめる。
「おかしいんだ!リンの事をみんなが忘れてるんだ!リュウトだけじゃない、母さんも友達も…オレが話した人が全員っ!」
困惑したままに、溜まりにたまった疑問の言葉を一気に吐き出す。そんな彼を見て、私は眉を下げて微笑みながらいつもと変わらぬ口調で口を開く。
「そっか…やっぱり。」
全てを察している私の一言に、レンはひどく驚いた様に目を見開いた。
「君はいったい…?」
溢れ落ちる様に問い掛けるレンに、私は口の端を上げて言葉を続けた。
「ねえレン。私が昨日話した事、覚えてる?」
「昨日…って、平行世界を渡る力の話し…?」
自分の息を整えながら、訝しげに眉を寄せた彼に私は小さく頷く。
「そう…それは、例え話なんかじゃないの。」
このまま何も言わず去ってしまう事も出来るけれど、どうしてか彼には話してみたくなったんだ。
「私は…平行世界を渡る力を持ってる。」
一瞬の沈黙の間に、冷たい木枯らしが吹きすさんでスカートを揺らす。レンが息を飲む音が聞こえてきそうだった。
「今まで私が『もしも』で話したレンは全部…私が渡ってきた宇宙にいた君なんだよ。」
大きなつり目を何度もまばたきして、言葉を失った彼に私はまたひとつ声を落とす。
「そして私はもうここにはいられない…」
「っ…どうして!?」
やっと振り絞った掠れる声を上げて、真っ直ぐに私の瞳を見るレンから私は視線を反らす。
「私がこの世界を渡る事を決めてしまったから…」
自分の言葉に胸が締め付けられた。
「…っ、私が一瞬でも心の底から…それを願えば、もう渡らなければいけないの。」
それはこの世界での自分の行動に後悔したり…やり直したいと思ったら…たったそれだけで渡る事は決まる。
『ワタシ』の世界は案外不確かで、脆くてとても揺らぎやすくて…。
簡単にシフト出来る事は、この力の最大の魅力で、最大の欠点でもある。
「そして…『ワタシ』が干渉した世界の私は…」
その先を言う事を躊躇いながら、私は告げた。

「存在すらも消えてしまう。」

レンはさっきよりも目を大きく見開いて、何かを言おうと口の中で言葉を探している。
「…それじゃあ…みんなが君を忘れてしまったのも?」
困惑する中で彼が探しだした問い掛けに、私は小さく頷いた。
「それは僕の中からも…君が消えてしまうって事なのか?」
悲痛に擦りきれる声が胸に響いて、今度は私がその答えを探して口籠る。
「……たぶん、そうだと思う。」
レンは私から紡がれた言葉を疑う事もせず、ただその事実を受け止めて苦しそうに眉を寄せながら私の顔を見る。
「言い出せなくてゴメン…」
その瞳に見つめられるのがいたたまれなくて、私は俯くと思わずそんな言葉を口にした。
私を見つめるレンの視線を感じたまま動けなくなって、ほんの数秒の沈黙が二人の間に流れる。
「もう…会えないんだね…」
溢れ落ちる様なレンの言葉に、また胸が握り潰されるみたいに痛んで顔を歪ませた。
自分の力について話すのは初めてだったけれど、告げる事で君を傷付けてしまう事が想像できなかった訳じゃないの…。
だけど別れを告げる事がこんなにも苦しくて辛いだなんて、知らなかった…。でもどこかで気付いていたんだ。
別れを惜しんでしまう、自分の姿に。
そんなのおかしいよね…だって私は自分から選択したのに、あなたの中から私がいなくなる事を…こんなにも寂しく思うだなんて…。
胸の内から込み上げてくる感情が、目頭を熱くして私はキャスケットの鍔を下ろす。
返す言葉が見付からなくて、口を閉ざしてしまった私にレンはとても優しい声で語りかけた。
「だけど…お別れは言わないよ?」
思いがけないその言葉に、私は思わず顔を上げる。さっきまで悲痛そうな表情を見せていたその顔で、レンは優しく微笑んでいた。
「だって…どこかの宇宙で、違う僕がまた君と出会えるんだろ?」
その瞳はどこか揺らいでいて、それでも精一杯の優しさで笑う彼に答えたくて私は大きく頷いた。
嘘なんかじゃない。真実なの。
他のどんな人に会わなくても…
「絶対に…レンにだけはどの宇宙でも出会える…から」
必死に紡いだその言葉に、レンはどこか安心した様に眉を下げた。いつもの木漏れ日みたいな温かい笑みを溢しながら、私にそっと手を伸ばす。
「そっか…それじゃあまた会おうリン!」
忘れないと言ってくれた私の名を君が呼ぶ。
そんな事は無理だって分かってるのに、君がそう言うから私は何かを期待してしまっている。
頬に涙が勝手につたうけれど、それを拭う時間も勿体無くて私は君の手をとって必死に笑顔を作った。
「うん…ありがとう、レン。」
キーン…とまた耳鳴りがして、視界がまた揺らぐと私の体はまるで分解されたパズルのピースみたいに溢れ落ちていく。
君の手を掴んだその手はいつのまにかその感触を忘れて、視界は真っ白に染まる。
破壊的な白さが落ち着くと、そこには暗闇が広がっていた。無数の光る点が伸びた宇宙の中に、『ワタシ』は放り出されてまるで迷子になったみたいな感覚に囚われる。
まるでどこにでも行けるのに、どこにもいけないみたいに――





私はそれからも何度も、何度も宇宙を渡った。
枝分かれしていく宇宙は、あの世界のレンとワタシの未来をどこまでも離していく。
きっともう、二度と交わる事は無い。
それがあの日あの時に、重なりあう可能性の中から、ワタシが手にしたあの世界での結末なのだから。
君が生きていくその未来に幸あれと…願う事すらも私には許されない気がした。
色んな人生を歩んで、色んな人と言葉を交わして…そして、色んな君と出会う。
だけど同じ君なんてどこにもいなくて、初めましてで始まる関係。そんなの分かりきっている筈なのに…それなのに私は、その度にトゲが刺さったみたいに胸を痛める。
君の中に何かを求めてるんだ。
どの世界にいても君は、やっぱり君だと信じて…。

本当はその気持ちの名前なんて、もうずっと前から理解してるの。

そう、ワタシは君に…――恋をしているんだ。

何度も何度も…決して叶わぬ恋を。

想いが通じ合う前に、いつも離れてしまうのはワタシなのに…それを寂しく思うなんてひどく身勝手だ。
だけどその先を見る勇気はワタシには無くて…。
何が答えなのか分からないのに、どこかに答えがあると探し回る。

そうやって渡っていく内に、また忘れてしまいたかった。

やり直したかった…。

だけど気付いてしまった感情だけは、消えさる事は出来なかった――

そしてワタシは、また宇宙を渡る――





陽の光が、固く閉じられた目蓋の中を白く染める。
重い目蓋を開いた時、まるで深い眠りから覚めた様に私は『ワタシ』を理解した。
渡る度に増える記憶や知識は、相変わらず私には重たくて意識が眩む。だけどそれにも次第に慣れて、意識がはっきりとして来ると自分のいる場所を再認識する。
そこは公園だった。
紅葉して色付く木々に囲まれる様にして、ポツンと置かれたベンチ、遠くに見える幼稚園。そしてキャスケットにワンピースといった…どこか見覚えがある風景と服装。
だけどそれは私の記憶じゃない、『ワタシ』の中にある記憶。
頭の中に、とある宇宙が過った。
もしかして…なんて期待は、すぐにかき消す。
だってどこにでもある様な場所なんだもの、無数の宇宙を渡る『ワタシ』には見覚えがあってもおかしくないじゃない。
そう思うのに…そこに取り巻く空気も、暖かい木漏れ日の心地好さも本当によく似てる…。
ぼんやりとそんな景色を眺めていた私の少し後ろを、自転車が通過する音が聞こえた。
車輪が土を踏む音が、キッ…というブレーキ音を立てて止まる。

「――リン…?」

同時に届いた小さな声は、私には初めてで、『ワタシ』には聞き馴染んだ少年の声。
心臓が大きく波打つ。
だって、そんな事ある筈ない。私の名をこの宇宙の君は、まだ知らない筈なのに…。
逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと振り返る。そこにいたのは、銀杏の葉みたいな色の髪を後頭部で括った学生服姿で、私と同じ様に大きく目を見開いた君の姿。
――…レン
声に出して呼びそうになったその名を、口の中で篭らせた。まるで時が止まったみたいに動かなくなった彼の手から、滑り落ちる様に自転車が倒れ盛大な音を上げた。
「うわー!」
その音に我に返った彼は、倒れた自転車を起こそうと慌てふためく。
「だ、大丈夫?」
私は未だに動揺が隠せないまま、目の前の彼にどうにか声を掛ける。
「ご…ごめんね、突然驚かせちゃったよね!」
私がそれにただ頭を振って返せば、彼は気恥ずかしそうに眉を下げて笑った。
「君があまりに本に出て来た少女に似ていたから。」
「本の…少女に…?」
思いがけない言葉に、私は首を傾げる。
「うん!だから、ついその名前で呼んじゃったんだ。」
つまりそれは、彼が私を覚えていた訳では無い事を証明した。ほんの少しだけ期待を抱えた感情が、おいてけぼりを食らったみたいに縮こまる。
「そう…なんだ。」
気落ちした声で答えるけど、彼はそれに気付く様子もなく肩から掛けた自らの鞄の中を漁り出す。
そして一冊の本を取り出した。
「うん!これなんだけど…」
そう言って見せられた本の表紙を見て、私は目を丸くする。

そこには後ろ向きで立つ少女の絵が描かれていた。
キャスケットに外跳ねの髪、セーラーカラーのカーディガンに、秋桜色のワンピース…。
その服装は確かにあの宇宙の『ワタシ』と、そして今の私の姿によく似ている。
だけど何より私を驚かせたのは、その題名だ。

『揺らぐ宇宙の片隅で』と表されたその文字は、少女の絵と合わせて私の力を表しているように思えた。

「ね?君に瓜二つだろ?」
彼は得意気にそれを見せ付けるけど、私は何が起こってるのか理解出来なくて言葉を失う。
どうして私がそこにいるんだろう…この本はいったいなんなのだろう?頭の中で巡る疑問を口に出せずにいると、彼が困ったみたいに笑った。
「…良かったら読んでみる?」
優しく問われた言葉に、私は躊躇いながらコクリと頷く。
「じゃあ、そこ座ろうか!」
そう言って、ベンチへと促されるまま二人で隣り合わせに腰をおろした。
彼に渡された本は随分と年季が入っていて、ハードカバーの端は潰れて紙は黄ばんでいた。
「古本屋の隅っこにおかれていたんだけど、何か気になってつい手に取ったんだ。」
「そうなんだ…」
本を開くのに胸が高鳴る。期待と不安が入り交じった複雑な感情のまま、私はそのカバーを開いた。

<――揺らぐ宇宙の中で、僕は君と出会った。
誰も覚えていなくても、誰も知らなくても…例えば君が忘れてしまっても
――僕は忘れてなんかいない>

冒頭にそう綴られた言葉に、全てが詰まっていた。

鼓動が逸る。目頭が熱い…。
ああ…やっぱり。『ワタシ』がこの宇宙に渡って来た瞬間に感じた空気は、思い違いなんかじゃない。

――ここは君がいた場所なんだ。

そしてこの本は、君が残してくれたメッセージなんだね?
あの日の君に出会える事なんて有り得ないと思いながら、ほんの少しの期待をいつも心の隅に置いていた。自分の中の『もしも』の感情。それが今、目の前に形となって現れる。
絵本みたいに綴られていく文は、私とレンの出会いから始まった。
少し不思議な少女リンと、不思議な話が好きな少年レン。
二人は数多に広がる宇宙の話を、まるでお伽噺を語るみたいに空想した。
その時間を過ごす事が、少年は何よりの楽しみだった。
だけどある時、少女がその空想した世界を行き来出来る力がある事を知る。
そして突然――別れの日が来た…。

それはあの宇宙での、私とレンが共に過ごした時間のお話。
そして、その後の物語は私が知らない宇宙の続き。君がどう思って、どんな気持ちでこの話を書いたのか…。
『ワタシ』がいなくなってからその宇宙がどうなったのか、その先の未来を見る事は初めてでやっぱり怖い。だけど私はそれが知りたくて、少し躊躇いながらもページを捲る。

<――リンはこの世界から、自分の存在は消えると言っていた。
だけど彼女の姿が消えた後、僕の中からリンの存在が消える事は無かった。
それがどうしてなのか分からない。だけど、思い続ける事を許される事が僕は嬉しかった。
だけどきっと…リンにはもう二度と会えない、そんな確証だけはここにある。
それでもどこかの世界の片隅で、君と笑いあう僕があり得るなら少し救われる気がした。
それなのに引き止めるべきだったんじゃないかとか、もっと早く気付けたんじゃないかって、後悔ばかりをしてしまうんだ。
そんな後悔をした所で、選べなかった未来を生きる僕にお前はうまくやれよなんて…苦笑いで呟く事しか出来ないんだけど。
君のように宇宙を渡る力を持たない僕には、それは無意味でしたかなくて…
だから僕は、そんなどうしようもない事を考えるのはやめた。
君を覚えている。それだけで、僕は充分じゃないか。
君を思い出せる事が、新たな思い出になる。そこからまた線は枝分かれして伸びていくのなら、僕は空想してみようと思う。
君と再び巡り会える事を。
それが例えば僕自身じゃなくても、この思いを記す事でどこかの僕がいつか君に伝えてくれるかもしれない。
君に恋をし続ける僕がいた事を。
それがひとつの答えなんじゃないのかな?

伝え忘れた言葉が、君に届いたらいいのに。

リン、君の事が大好きです――>

綴られた文字が、君の言葉が胸に滲みて、込み上げて来た感情が気づけば涙となって溢れ落ちる。
嬉しくて…嬉しくて…堪らなかった。
君がワタシを覚えていてくれた事も、君が私と同じ気持ちだった事も…君の想いが胸に響いて言葉を失った。
ああ、私がずっと君の中に探し求めていた答えがココにあったんだ…。
「だ、大丈夫?」
隣に座る彼は突然の私の涙に戸惑って、慌てた様に声を上げた。
「うん…」
私は本を閉じると、それを両手で抱き締める。
「すごく…すごく素敵なお話だね。」
私が噛み締める様にそう言えば、彼は眉を下げて笑みを溢す。
「そっか!良かった!」
安心した様なその声はとても優しくて、この本のレンによく似ていた。
「実は僕も初めて読んだ時から、すごく感情移入しちゃって…他人事に感じないって言うか…」
主人公と同じ名前だからかもしれないけどと、付け加えて気恥ずかしそうに笑う。そんな彼につられて私も思わず笑ってしまった。
「何だか君とも初めて会った気がしないや…」
あははと屈託なく笑いながら目を細めた君に、私は悪戯な口振りで言ってみせる。
「…この広い宇宙の中で、私と君が初めて会っただなんてどうしてそう言えるの?」
本の中に出てくる少女の様に、少し台詞じみた声でそう問えば彼は目を真ん丸くする。そしてまるで木漏れ日みたいに満面の笑みで答えた。
「じゃあ、また会えたね!…かな?」
それを口にした後、はたっと彼の動きが止まる。
「…あれ?僕、前にもこんな事があった様な気が…」
ああ、やっぱり。君の中に彼は息づいているんだね。
キョトンとした顔で空を仰いだ彼を見ながら、私はその姿に眉を下げて笑った。
本当の事はそうだな…もう少し後に教えてあげよう。
だって、君と私の宇宙はここからまた始まるんだから――



君が想像する分だけ、宇宙には線が出来て無数に伸びる。

君が選択する分だけ、線は枝分かれして新たな宇宙が広がる。

だけど君はその中の一つの線の上でしか生きる事は出来ず、一度選んだ線を後戻りは出来ない。

だからこそ、その線の上に刻み付けたんだ。
枝分かれしながらも、繋がる未来の自分に。
『忘れないで』と、あの日の願いが…二人の思いが…

揺らぐ宇宙の中で、君の隣にいる未来を選ばせたんだ――

~fin~




コメント

橙 橙―ORANGE―
ここまで読んで下さりありがとうございます!!
かがなうでkagaminationZEROを手にしたあの日から、いったい何度聞き続けたか分からないこの楽曲。ずっとお話を書きたい書きたいと言い続け、やっと書けた事が嬉しいです!
この曲を聴いて思ったのが、残されるレンよりも渡るリンの方がツラいんじゃないだろうかという事です。そこに救いと答えを見出だして見たかったのです!
LOVERの報告の際に、ハヤカワP様から質問を受け付けて下さると優しい言葉を頂きました。
なのでこんな機会はないだろうと、『ゆらぎ~』のリンの力について質問すると貴重なお話を聞かせて頂けました!
なので平行世界を渡る力について、それが反映されてます。それからまた私が考えた話しをのせたので、ちょっと違う部分もありますが…
ハヤカワP様、その節は本当にありがとうございます!
そしてゆらぎの鏡音のキャラは涼さんが描かれる二人を意識してみました!私の中では涼さんの絵で、話しは進んでいます!
可愛いレンくんが伝わればと思います(*^_^*)
ハヤカワP様、涼さん、素敵な作品をありがとうございます!

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